宇都宮木鶏クラブ

琴線に触れる言葉

2022年07月02日

琴線に触れる言葉

実践

令和4年7月1日 大沢

私たちは、 「仁」 「道徳」 等を学んでいますが、この学びは知識として記憶しただけなら 人生のためには、ほとんど何の役にもたちません。 実践が少しでも出来て、初めて役 にたちます。 ここで、改めて確認しますが 《倫理人に守るのよりどころとなる原理の 命は実践》 なのです。 しかし、 「論語」 や 「道徳」 は、2、3回世間の話に出ても、 立ち消えになったり、敬遠されたりです。 わずかに日本の小さな社会で、強い枠組み の中で、 生き残っているだけです。

実践は、利他の心」 があって初めて、人生に生かされます。 昔は、 寺小屋教室で日 常会話の形で、笑い声の中で、 実践と利他の行動がわだかまりなく、教えていただけたの です。 現在では、受験勉強のための効率のよいお勉強塾・幼稚園 小中高などばか りとなってしまいました。 利他の心を行動に移す、 良い方法について、 テレビには出 まず、新聞や雑誌でも、 全く取り上げなくなり、 日常から消えて、 パソコンを打つとかろう じて 「利他」 と出てくるだけです。 「個の確立」 という戦後教育が、 さりげない 「利 ん。 「よいこと」 は、 空気や水に近い感じで、させていただいたり、お気持ちを お受けする社会の雰囲気があって輝きます。 「よいこと」 は、親の愛に近い感じで ・・・できればなあと思います・・ムリかもしれませんが・・・ほんのチョッピリでも

「他」 のお渡し方や素直な受け取り方を日本社会から、ほぼ完全に追放してしまったので す。 実践という言葉は、 知っても、覚えても人生には、ほとんど何の役にもたちませ

いいから必ずヤルと決心しました。

実践と利他について、 具体的に自分のために、 学んでみました。 個人の理解です。

これは、完全に私

実践を行動に移すためには、 「利他」 の心がなくてはなりません。 ① 良いことを受け

る側と、②渡す側が出てきてしまいます。 ① 受ける側: 現在の日本人は、昔より 「受け取り下手」になってしまったように、私

は感じています。

例をウクライナ情勢に例えればウクライナの 「受け取り上手」 は

ロシアとの戦争継続の可能性の大きな要因とさえなってしまうのです。

日本人は人から何かしてもらったら、 お返しをしなくては」という思いが強く成り過ぎた ようです。 男女交際までも、ひどく少なくなってしまったというニュースを見て、暗い気 持ちになりました。 若い男性は、好きな女の子から 「好きだ」 と言われても 「こん なに素敵な人から好かれるような人間ではない」 と、思ったり・・・女性ならステキな男 性から食事に誘われても 「借りをくつてしまう気がする」 となり、素直にウレシイ!!

とならないのです。 ステキで気軽な 「利他」のやりとりこそが、ステキな人間関係の

基本だと、 私には思えています。

大昔過ぎる実話ですが、 秀吉は、 戦場で負傷した敵兵をみつけると、 兵にムシロをかけろ (これは暑さの防具です)、 水をやれ 食物 コウヤクをやれ!! と敵兵にも味方のよ うに情をかけました。 助けられた敵兵は、密かに秀吉を尊敬して、部下にさえなりた やがて下層階級出の秀吉は、多くの民衆から支持されて、 太閤にまで持 少し無理 ち上げられたのです。 実践 利他の心が、 日本を作り上げたのです。 はありますが、日本の 「法治」 は、 庶民的には信長に始まり、 秀吉が守り・家康が法治国 家の基本を作り上げました。 聖徳太子も 「和」 を、 国家安寧の中心にかかげて下さい ました。

社会には、どうしても強い者と弱い者の差が出てきます。 生活保護等の制度も、予算と支払いの関係から、 窓口の対応が冷たかったり審査が厳しい といった受給を許さないような雰囲気があります。 役所側にも、理由があるので、仕 方ないんです。

受給する側も 「援助を受けるのは恥ずかしい 補助家庭だと知られたくない」 という、 罪 悪感を強く持っています。 このような 「援助を受けると、立場が弱くなる」 と感じて しまうのは危険な感じ方、生活の仕方です。 社会の分断と、貧困の定着の原因となっ てしまいます。 受ける側の気持ちとして、この「もらったらお返ししなければ」 とい うプレッシャーから、出来るだけ自由になることが大切です。

恩は、受けたらお返しを考えるよりも、 よりよく生きることです。 自分の人生を良く する事が第一です。 良く学び、 良い仕事をすれば、 社会の役にたちます。 お返し は、良い人生で自然に出来てしまいます。 感じの良い人になる、 役に立つ人になる 、人や物・自然を大切にして生きていれば、お返しはだんだん出来てきます。

②渡す側: 人にプレゼントしたり、 人に教えるのは、 自分がふさわしい人間であるこ とです。 見るからに悪そうな人からプレゼントを受けたり、 分からない事を教わろう という人はいないでしょう。 良い事をするには、 その前にある程度以上の人物評価が 必要です。 難しいことではなく、 「気持ちのよいあいさつ」 「感じの良い歩き方」 「 サッパリした身形 (みなり)」 「良い言葉づかい」 に気をつければ良いのです。 人格 は、日常生活に必ず表れます。 ほとんど全ての生きものは、 相手の気持ちを一瞬で感 じ取ります。 犬が、 人間の気持ちを理解するのに、一秒もかかりません。 付き合ったこともなく、知らない人から、もらったり、教わりたい人はあまりいません。 お渡しする人には、 まず自分を知っていただくことです。 そのことを、何かの方法 で確認することです。 アイサツの時の反応でも、多くの事が分かり合えます。 現在は、「自己責任」 という言葉が使われ過ぎています。 理解しましたか? 受け入 れますか? と言う時に英語では、アンダースタンド? と言うと思います。

直訳する

3

と、下位に立つ、わたしの教えを受けましたね? と言うような意味になると思います 相手が下位に立つ、自己責任でそうなったのだ、 努力が足りないのだという気持ち につながりやすいので危険です。

自己肯定感は、大切です。 自信と信用を、 自分発にするエネルギー源だからです。 す側は、相手を 「努力が足りないからだ」と決め付けてはいけません。 努力には生 れ付きの環境の要因がとても多いのです。 努力が出来たのは、親から十分な教育を受 けさせてもらえたり、生活が安定していたためであり、良い環境に生まれついていたか

らにすぎません。 「自己責任」から 「利他」への転換のためには、「たまたま自分が 今この環境にいるのは、お陰さま」 という姿勢を忘れてはいけません。

「お陰さま」 で、 今の自分がある、 この心からの行動なら、 良い 「ご恩返し」 が完全に出

来ます。 エスデージーズ 利他をすすめる時、注意すべき状況があります。 SDGs(持続可能な開発目標)は

何時の間にか日本社会に入ってしまった教育的考え方だと思いますが、 今は小学から教え

られているのは、国連は完全な善という前提なので、 問題だと私は感じています。 「

地球環境を考え、このままではいけないから何とかしないと」、という教育です。

責任の所在が明確でない上に、 子供の責任でもないのに、 「未来が危ない」 と言われ続け 課題の解決を求めては、青少年の自己肯定感の成長に、気付かない所で、悪い影響が出て

しまうのではと、心配です。

利他については、語りきれないので、少し乱暴にまとめます。 人も自然環境も多くの 顔や、状況があるので、 むづかしいのです。

① コロナでは、 「感染を防ぐために00 すべき論」 がありまず、 人は同じではなく 困難な状況もあります。

(2 「みんなちがって、みんないい」 だって不用意に使えば、 分断となります。 者との違いを尊重した配慮がむづかしいのです。

③利他の他は、 自然も入ります。

資源節約で情報化を進めるとコンピューター

を動かすために大量の電力が必要になり、 CO2の排出量増加とさえなりえます。

実践: 利他の心で、世の為人の為に現に

行動するのはむずかしく大変だが、 クラブ

員は少しでも必ずヤル!!

以上 まずは声かけを気持ち良く。

オハヨウゴザイマス

コンニチハ

コンバンワ

アツイデスネ

そしてまずは聞く。

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