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ヒトノワ中の人日記

苦難にまさる教師なし

2020年12月13日

はじめに

今回のテーマは「苦難にまさる教師なし」と言うテーマでした。
この「苦難」と「今どう生きる」というのは致知の中でよく出てくるテーマで・・・
今、コロナという中で学ぶことがあるんだろなと思って読み始めたんですけど・・・

まず「特集」を読みました。

印象に残ったのが
9ページの1段目に書いてあった。
「どうにもならない事は忘れ現在ただいまの状態から将来に向かって人生を切り開いていこう」
という部分です。

 これはあっているか、わからないんですが鈍感力で大事だなと思って、お客様のクレームも「今さらどうにもならない」ことは、謝るくらいしかなくて、今後改善するしかないって割り切って考えるんですよね。反省はするけど「必要以上に引きずらない」っていうのは気をつけてますね。

そして、次に印象に残ったのが
9ページの2段目に書いてあった。
「不幸、病気、逆境は大成する人格を育てる落ち葉である」
という部分です。

落ち葉と考えると、苦難も積み重ねなんだなと思えて、この苦難いつまで続くのかなと思うと辛くなってくるんですけど、苦難の積み重ねが、大きな山になる。つまり大きく成長していくとことになると考えると少し気持ちが楽になるというか・・・面白い表現だなと思いました。”

中のページは「艱難の果てに掴んだ人生の心術」を読みました。

印象に残ったのは66ページの4段目に書いてあった。
「書く必要のないことを美辞麗句で書いているだけで、なくても小説は成立するんです」
という部分です。

恩師の池上先生に冒頭の半分が線で消されたという部分・・・ここは共感しましたね。
レベルは違うと思うんですが、私もデザインをしていると、若い頃は、やっぱり装飾とかディティールにこだわって、わかりにくいものができてしまうという、ことがありまして。思考の三原則じゃないですけど部分的には成立していても、全体として俯瞰するといらないってい!やつですね、、、でもやっぱり時間がかかってるのでそこを削ることがなかなかできない。もったいないと思っちゃうんです。本当は、そこの贅肉を削ぎ落とすことで洗練されたデザインになっていくのは頭ではわかってるんですけど、、、それが出来るようになるのに時間がかかりましたね。

次に印象に残ったのは67ページの2段目に書いてあった。
「モーツアルトもアインシュタインもそうでした。天才の名前ばっかり出てくる。これは天才が罹る病気です」
という部分です。

これは、精神科医が前向きになってほしくて言った言葉だと思いますが、「確かにな」と思いました。
これを、過去のトラウマを背負って後ろ向きに生きていくのと、天才と同じ病気だと思って前向きに生きていくのでは180度違う結果になると思います。

次に印象に残ったのは68ページの1段目に書いてあった。
「悪い事が起こるのは思いがけない善い事が訪れるための前段階なんです。一つの山の頂上からさらに高い山に登ろうという時に、直線の道はないですから一遍その山を降りなければなりません。ただ、下りる事がどれだけ辛いことか頂上にいる時にはわからないんですよ。想像を絶したものがある。だけど、そこでのたうち回りながらも乗り越えて、また麓から山頂にたどり着いたときに、やっぱり最初の時とは違う大きな境涯が培われていると思うんですよ。一遍谷へ下りないと、次の峰にはいけない。これは道理であり、僕の命そのものが感じた事です。」
という部分です。

これも「なるほどな」と思いました。安定している場所から下るというのは確かに怖いという気持ちがあって、私も働いていた会社が全焼して先が見えなくなった時や、安定した給与をもらっている会社から独立した時は、すごく勇気がいりました。怖かったですけど、、、失敗するかもしれないけど、、、今ある山を下った先にはきっと自分が成長出来る場所がある、、、と思ったから行動できたんじゃないかと思いますね。
これは実際には、そこでしか出会えない人もいて、それが成長に繋がったんだと思います。(行動することは重要だなと)”

最後に今回の致知を読んで感じた事は
苦難を受け入れることで成長できるのかなぁと思いました。以前、致知で坂村真民先生の言葉に「前進しながら終わる」という言葉があったと思うんですが。。。
まさに今、このコロナ禍で苦難だと思うんですけど、受け入れながらも進んでいくしかないと感じました。

カテゴリ:致知

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