宇都宮木鶏クラブ

第331回月例会 特集 「人生の四季をどう生きるか」 読後感想発表

2023年04月08日

宇都宮木鶏クラブ 令和5年4月度・第331回月例会 特集 「人生の四季をどう生きるか」 読後感想発表資料

和5年4月7日 (金)

手塚久雄

巻頭の言葉 「悠遠なる歴史や日常の暮らしを見直し、 本来あるべき生き方を考える」 後藤俊彦

世界の主な国々の建国 (独立革命) 記念日と比較しても、百二十六代に及ぶ万世一系の皇統 を中心に、 二千六百八十三年もの長期にわたり一つの国家が続いている国は例を見ない。

二月十一日の紀元節 (建国記念日)も国 民的関心は薄い。 わが国の建国記念日は明 治六年に当時の学者が『日本書紀』を基と して、神武天皇が即位された日を太陽暦に 直して紀元前六六〇年二月十一日とした世界の主な国々の建国(独立革命) 記念 日と比較しても、百二十六代に及ぶ万世一 系の皇統を中心に、 二千六百八十三年もの 長期にわたりつの国家が続いている国は例をみない。

これを誇りとして、 古典、 先達に学び、 生活へ取り入れてゆくことが国の発展に結びつくもの

と思います。

特集 人生の四季をどう生きるか

自分の現在までの生き方を考えながら読みました。 吉田松陰は無くなった方々に春夏秋冬あり

と言っています。 辞世の句に 「身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬともとどめおかまし大和魂」

にあるように今も人々の心に残っていると思います。 曹操の詩に 「老麒壢に伏す 志千里に在り 烈士暮年 壮心已まず」 とあります。 人生の終焉

がいつかは誰にも分からないが、その日がいつであろうと、 士気をもって人生を歩みたいもので

二月十一日の紀元節 (建国記念日)も国 民的関心は薄い。 わが国の建国記念日は明 治六年に当時の学者が『日本書紀』を基と して、神武天皇が即位された日を太陽暦に 直して紀元前六六〇年二月十一日とした世界の主な国々の建国(独立革命) 記念 日と比較しても、百二十六代に及ぶ万世一 系の皇統を中心に、 二千六百八十三年もの 長期にわたりつの国家が続いている国は例をみない。「古来医学の専門家は、人間いくら年をとっても年を とるほど、学問や芸術や信仰に情熱を抱き続けることが不 の秘訣であることを切論している。学芸、信仰、事業な どに感興を失わず情熱を抱き続ける老人こそ、 不老の特 階級である。徒に不老長生の薬を求めたり、苦難を恐れ 安を貪る人間は養生の道を錯誤しているものである」

そして最後を三国志の英雄曹操の言で締めくくる。 「老顕に伏す 志千里に在り まず」

一日千里を走る駿馬が老いて既に伏しているのは、なお 千里を走らんがためであり、雄々しい男子は晩年になろう とも志を捨てない、の意である。人間、 この士気がなけれ ばならない、と安岡師は結語している。

人生の終焉がいつかは誰にも分からないが、その日がい つであろうと、士気をもって人生を歩みたいものである。

これから、 気概を持っていきたく思います。

一道に生き、 我が情熱は衰えず 対談 小林研一郎、 羽生善治 指揮者、 将棋棋士で熱意を持って努力し一流以上になられた方々です。 「小林、今回はよい録

音になった。 ありがとう。 今度来る時までに英語を勉強しようと思っているだろうがそれは必要

がない。 俺たちが日本語を学んでおくよ」 このような冗句を受け流してきた。

「古来医学の専門家は、人間いくら年をとっても年を とるほど、学問や芸術や信仰に情熱を抱き続けることが不 の秘訣であることを切論している。学芸、信仰、事業な どに感興を失わず情熱を抱き続ける老人こそ、 不老の特 階級である。徒に不老長生の薬を求めたり、苦難を恐れ 安を貪る人間は養生の道を錯誤しているものである」

そして最後を三国志の英雄曹操の言で締めくくる。 「老顕に伏す 志千里に在り まず」

一日千里を走る駿馬が老いて既に伏しているのは、なお 千里を走らんがためであり、雄々しい男子は晩年になろう とも志を捨てない、の意である。人間、 この士気がなけれ ばならない、と安岡師は結語している。

人生の終焉がいつかは誰にも分からないが、その日がい つであろうと、士気をもって人生を歩みたいものである。

棋士として、「いかんともしがたい自然の棋理のようなものがあるとしたら、受け入れていく

しかない、 その時々でベストを尽くすしかないというのが私の考え方なんですね。」 この中に

将棋棋士の春夏秋冬が感じられます。

華道一筋、 師の心を求め続けた我が九十年の人生 インタビュー 池坊専

「たとえ器用なしとも 稽古の程深ければ興ある姿を立ていだすことあり」 稽古を重ねて

努力すれば出来ると言っています。 生け花の春夏秋冬を重んじて生けることが大切です。 P25 2段目 1行目

人生の旅立ちに立ち会って 石飛幸三 老衰が進んだ高齢者が食べられなくなった最後の数日間の様子を私も多く見てきましたが、 空

腹や喉の渇き、痛みを訴える人はいません。 体に何も入っていないのにおしっこが出るのは、き

っと自分の体を整理しているのでしょう。 やがて安らかな最後が訪れます。 それは自然の摂理と

いうものでした。「今の医療に欠けているのはこれだったのだ」 医療関係者、家族の方々に看取

りに対する私の考え方を共有するようになりました。 人生を春夏秋冬と生きてきて最後はこのようにしたく思います。

もちろん意識があって 機能が失われた人にとっては 有効な栄養補給法です。 しかし喜 感じ取ることすらできな 終末期の高齢者にまで強 的に栄養を補給するのは、本当 にいいことなのだろうか。 介 護の現場を通して延命治療の限界 と人間の最期のあり方という新た なテーマを突きつけられたのです。

そういう私に示唆を与えてくれ たのは、三宅島出身のある親子で した。 三宅島から入所してきた 高齢の母親が性肺炎で病院に 運ばれ、医師の指示通り経鼻胃管 をつけることになりました。とこ ろが、島から会いに来た息子さん がこの姿を見て衝撃を受け、「三宅 島では、食べられなくなった老人 には水だけが与えられる。そうす ると苦しまないで息を引き取る。 水だけでか月はもつんですよ」 と話したのです。

鮎川義介の生き方に学ぶ 鮎川雅子

絶対に金持ちになるまい。 だが、大きな仕事はしてやろう。願わくは・・・」とあり、学歴

を隠して工から進んだことが素晴らしいと思いました。 鮎川義介の無奉公の生き方、使命感に学び、私たち一人ひとりが身の回りの方々に役に立つこ

「終生富豪となることなしに天職 に精進しよう。富豪心理は、おお 人をして利己的に整し、人類 に好ましからぬ悪徳をなさしめる もので、それはひいては、その人 のもつ天のオカのすべてを仕事 に捧げようとする目的に対しては むしろ邪魔になる」

「俺は絶対に金持ちになるまい。 だが大きな仕事はしてやろう。 願わくは人のよく行い得ないでしかも社会公益に役立つ方面を切り開いていこう」

一職工として歩むことに踏み切 義介の決断に井上は賛同し、 芝浦製作所(現東芝) を紹介し ますただ、東京帝大の工学士で あれば月給四十五円の働き口が用 意されていた時代に、義介はあえ 出自と学歴を明かさず日給四 十八銭の仕上げ工として入社しま したここが義介の非凡なところ であり、特筆すべき点です。

と。 そして心ある人たちが手を携えて、この素晴らしい日本を守り、夢と希望を持って次の世代へ

と繋いでいきたい。 それが鮎川義の人生の四季を踏まえて。 いま私が抱く実感です。

いま日本は新たなる文明を創造 していくスタート地点に立ってい ると思います。人と組織を生かし、 新しい価値を創造しなければなり ませんそれには情熱が不可欠で すし、情熱のもとは使命感です。

日本の繁栄のため人間学に基づ いた人創りと教育に生涯を捧げ、 志を貫徹した鮎川義介の無私奉公 の生き方、使命感に学び、私たち 一人ひとりがまず身の回りの方々 のお役に立つこと。そして心ある 人たちが手を携えて、 この素晴ら 日本を守り、夢と希望を持っ 次の世代へと繋いでいきたい。 それが鮎川義介の人生の四季を踏 まえて、いま私が抱く心願です。

レベルは違いますがこのような気持ちを抱いて生きたく思います。

インタビュー

① 心に寄り添う葬祭業を目指して ( 正司) 節目節目でよき出会いに恵まれて、 助けられ、応援していただいたことが非常に大きかっ

た。

辻私の場合は出会い運がものす ごくよかった。よき出会いに恵ま

れたんです。経営者として歩んで くることができたのも、こうして

会社を大きくすることができたの も、節目節目でよき出会いに恵ま れて、助けられ、応援していただ いたことが非常に大きかった。

勿論それまでの努力があるが、恩義を忘れてはいけない。

②不遇の時代の過ごし方がその後の人生を決める (井手口)

一分一秒でも選手たちと長くいること、また、それを厭わないことが大事だと実感してい

ます。 他のスポーツ等でも言える思います。

③ 薬膳に棄物なし (追立久夫)

先生が、の考え方を基に、こういうのはどうやと、調合して下さいました。 これ をおいしくするのが私の役目です。

薬師は四季ごとの旬を大事にします。

自分でもドクダミを干し、 毎日飲んでいます。

人生の苦難が教えてくれたこと 対談 鈴木中人 腰塚勇人 あと忘れられないのが「手足は動かなくても、決してすべては失っていない。 命と未来は残っ

ている」という言葉です。

あと忘れられないのが、リハビリの先生がおっしゃった「手足は 動かなくても、決してすべては失っていない。命と未来は残ってい る」という言葉です。だから、一 緒に頑張っていこうと。この「一 緒に」

「人生の四季を生きる」というテーマは、まさに「命を見つめて生きる」ということではない

でしょうか。そこには二つの心理があります。一つには、時は移ろうこと。 二つには、季節ごと

に感動があることです。

人生に無駄に 鈴木「人生の四季を生きる」というテーマは、まさに「いのちを 見つめて生きる」ことではないで しょうか。 そこには二つの真理が あります。一つには、時は移ろう こと。 二つには、季節ごとに感動 があることです。

いまという季節は、「いのちの人 「生時計」と同じで二度と戻ってき ません。その中で、いかに一度切 りの人生を一所懸命に生きるか。 出会いや出来事を楽しみ愛おしむ か。それが人生の四季を彩りのあ るものにしてくれるように思いま す。

スキーの事故で体がマヒし大変なリハビリで回復したこと、お子さんを亡くし、そのお子さん

の分まで生きると決めたこと。 感動しました。

人生百年時代をどう生きるか 対談 五木寛之 境野

境野十からでも挑戦すること。 そして面白がってやることが大事なんですね。 五木さん

は 頭の人ではなく体全体で生きていらっしゃることが良く分かりました。 五木 こういうことを日々面白がってやっていると、体が変わってくるのが実感できるんです

よ。 そして私が熱心に実を続けるには、養生というのは一日一日をイキイキと全う することだという思いがあるんです。

境野 いや、恐れ入りました。九十からでも挑戦すること。 そして 面白がってやることが大事なんですね。五木さんは頭の人ではなく、 体全体で生きていらっしゃることがよく分かりました。

春夏秋冬を生きて、なおこれからの思いは素晴らしいと思います。 自分もこうありたく 思います。

女子ボクシング界のレジェンドの挑戦 藤岡奈穂子

ボクシングをすることで人として魅力のある人間になることが、 結果的にボクシング界に貢献 することに繋がると信じています。

藤岡 ですから後輩たちにはボク シングを通じて人間性を磨いてほ しいと伝えています。 ボクシング をすることで人として魅力ある人 間になることが、結果的にボクシ ング界に貢献することに繋がると 信じています。

薄っぺらい表現になりますが、 正直に言って最後の最後に勝敗を 分けるのは「運」です。ボクシン グは一発で形勢を逆転することも あり、最後まで勝敗は分かりませ ん。そんな世界で執念や思いだけ で勝てるのなら、そんな楽なこと はないんです。 ○一%でも勝率 を高めるためには、コツコツと練 習を積み重ねる以外にありません。 その努力の姿は、必ず勝負の 神様が見てくれるのでしょうね。

ボクシングに拘わらず、何事においても、このような気持ちをもつことが大切です。

田口佳史

暇で独りでいる時こそ、独の修行の場所と心得る。 小人にとっては、この時こそが不善を行う

機会となるので、 わがままで心弱く怠け心の起こらないよう、醜い姿を避けることだ。これを独 という。 一人になると悪いことを考えがちです。これを機に更に進まなければならない。

大学』には次のようにあります。 しょうじん かんきょ 「小人は開居して不善を隠すこと至らざる無し君子を見てると して不善をおおいて其の善をはさ はいるん んとす。 人の己を視ることは、其の yak を見るが如くれば、則ち何ぞ益あらん。 中になれると言う。 故に君子は必ず其の独を慎むなり」

小人は独りでいる時は、目もない ので、苦くないこと、見苦しいこと、つ まり人の見ている前ではやらないことを する。

そこに誰かが入ってくると、すっかり おおい隠したつもりで、何もしていない ように見せる。しかし他人が自分を見て いるのは、肝臓などの内臓まで見 透してしまうほどであるから、全く隠し おおはしない。

Q 人生を照らす言葉 鈴木秀子

苦悩に思いを支配されることなく目の前の小さな歩みに意識を向けていると、私たちの周囲には

たくさんの小さな喜びが溢れていることに気づき始めます。 今までの嫌なことに目をつむろうということです。

雨風をしのぐ家がある、家族が 共にいてくれる、三食おいしく食 事をいただける、働ける職場があ 共に働く仲間がいる、美しい 夕陽が疲れを癒やしてくれる、 小 鳥の囀りがな朝の訪れを 告げてくれる。 究極的に見れば息 ができること、命を授けられてい ること、それ自体が大いなる恵み であり喜びなのです。

これら何気ない、一見当たり前 のように思える日常の一コマが決 して偶然ではない奇跡であること を感じ取った時、その人は既に大 いなる存在の救いを自覚できてい るといえるのではないでしょうか。 そこに苦悩を乗り越える力も生ま れてくるはずです。

『深い河』の後半部分については、次回のこの欄で読み解いていきたいと思います。

「忍多力」 横田南嶺

耐え忍ぶ者は、人に尊ばれるとも教えて下さっている。耐え忍ぶことは実に力強いことなのだ。

要は、とっさの蹴りに身を任せぬこと である。宗老師も「平生、多少精神的 の修養がある人ならばりの心がむっと 頭を上げて来たのを、まぁ待てと頭を押 さえることができる」と説いている。 具 体的には、呼吸を調えることである。 りを抑えるのは困難でも、呼吸を調える ことは可能である。乱れている呼吸を意 識して調えると、踊りもおさまるものだ。

生きる 力

、耐え忍ぶ力、 思いやる力、この三つを信じてゆきたい。

長年禅の修行の世界に身を置いて今日までにいろいろな人に会ってきたが、つくづく思うことは、修行時代に苦労して、 不都合なことや理不尽に耐え忍んだ人ほ ど情が厚くて慈悲深く、思いやりがあ 和尚になっているということだ。 お互いいろんな目に遭い、耐え忍ぶこ とによって、人の苦しみや悲しみが分か ってくる。人の苦しみや悲しみが分かる からこそ、何かしてあげたいという思い やりの心が起きてくる。思えば仏陀も、 想像を絶する難行苦行をなされたのは、 慈悲の為だという。難行苦行を耐え抜い たからこそ、無限の慈悲が湧いてきたの生きる力、耐え忍ぶ力、 思いやる力、 この三つを信じて生きてゆきたい。

このような思いを持ち続けたく思います。

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