宇都宮木鶏クラブ
致知 1月号2023 【特集遂げずばやまじ】
令和5年1月6日
小森俊宣
特集「遂げずばやまじ」とは?
著者は何を言わんとしているか?
成し遂げるまではやめない。 執念 やり遂げるときに必要なものは?
理想
自分は何を思い、 実行するか?
なにを「とげるまではやめない」と誓ったのか? ゴール
強い思いの源はどこにあるのか? 家族愛、愛、生きがい、成功、夢
それぞれの困難はなにか?
未知、反対派
遂げずばやまじ
一目標を持ったら成功するまでは絶対にやめない、という固い決意の言葉である。執念の 極地を示した言葉といえる。 古来、世に偉業を成した人は皆、この言葉を体現した人である。 日本の蘭学の先駆者、大槻玄沢(おおつきげんたく) (1757~1827) は生涯この言葉を自戒の語としてい
た。 玄沢の言葉が残されている。
「およそ事業は、みだりに興おこすことあるべからず。思ひさだめて興すことあらば、遂げずばやまじの精神な
かるべからず」
事業というのは気ままな気持ちで始めてはならない、心に深く決意して事を興すなら、何があっても必ずや
り遂げるという強い思いを持って始めなければならない、ということである。
人生死ぬまで通過点
阿部詩 (東京2020オリンピック柔道女子52kg級金メダリスト)
小嶋新太 (日本体育大学柔道部女子監督)
阿部 詩
選手村に入った時にすごく緊張して、オリンピックの雰囲気に呑み込まれそうになったんです。 ああ、これが魔物なのかなと思ったりしましたね。 初めて出場するオリンピックでしたし、日本で開 催されるオリンピックということもあって、やっぱり緊張の度合いは他の大会と全然違いました。 絶対に金メダルを獲得しないといけない状況で、逃げたい気持ちがなかったと言えば嘘になりま
す。けれども、試合の2~3日前に、こんなに緊張しても仕方がない。
これまで準備してきたことに自信を持って、普段通り一戦一戦集中して勝つことだけに意識を 向けていこうと心を切り替えることができました。 ですから、私の場合、 畳に上がれば魔物は全く
いなかったです。 魔物は自分の心がつくり出すものかもしれません。
すべては自分次第であり、どれだけ万全の準備ができるかで決まる。 そのことを今回のオリン ピックを経験して強く感じました。
小嶋新太
これまで数多くの選手の指導に携わってきた中で、伸びていく一流選手には3つの共通点があ
ると感じます。努力のできる天才、 素直、感謝の心を持って人に接する
私は全然及ばないですが、 詩の場合は努力が並大抵じゃなくて、努力のできる天才だと思って いますので、そういう選ばれた人間しか柔道の神様は声を掛けてくれないんじゃないでしょうか。 これまで数多くの選手の指導に携わってきましたが、努力のできる天才ということに加えて、一
流選手は皆、素直です。 そして感謝の心を持って人に接しています。 試合で優勝した後も自ら進 んで挨拶回りをするなど、周囲に支えられていることを肌で感じている。 そういう選手が伸びると 思います。
JALの奇跡〟 はかくて実現した
大西賢 (日本航空元社長)
大田嘉仁 (日本航空元会長補佐専務執行役員)
総額2兆3,000億円という事業会社として戦後最大となる負債を抱え、 2010年に経営 破綻した日本航空(JAL)。 そのJALを奇跡と言われる再建に導いたのが、 2022年8月に 逝去された京セラ創業者の稲盛和夫氏である。 破綻後の新社長として難しい経営の舵取り を担った大西 賢氏、稲盛氏の側近としてJAL社員の意識改革に奮闘した大田嘉仁氏のお 二人に、知られざる再建の軌跡、 稲盛氏に学んだ経営の要諦、リーダーシップの神髄を語り
合っていただいた。
どれだけ多くの人の共感を呼んで、 どれだけ多くの人を巻き込み、一緒に目標に向かって
進めるか、経営はそこに尽きるんです。
遂げずばやまじ 大槻玄沢の歩いた道 相馬美貴子 (一関市博物館主幹)
日本に初めて西洋医学の知見をもたらした『解体新書』 の出版から52年後、 内容を大幅 に改訂した 『重 解体新書』 が発刊された。 その改訂に生涯を捧げたのが、 蘭学者として、 また医者として様々な功績を残した大槻玄沢その人である。 今号の特集テーマ 「遂げずばや
まじ」の言葉を残したと言われる玄沢は、いかに自身の道を切りひらいたのか その足跡を辿る。
何としても取り戻す 拉致問題解決に懸ける思い
横田拓也 (「家族会」代表)
西岡力 ( 「救う会」会長)
当時中学1年生だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて45年の歳月が経過した。 今日まで拉致被害者救出運動の先頭に立ってきたのが被害者の家族でつくる 「家族会」と
それを支援する「救う会」 である。 政府間の交渉は依然膠着状態にあるが、 「家族会」 の横 拓也代表、 「救う会」 の西岡力会長は共にいまも解決に向けて全力で走り続けてい
る。 「高齢となった親世代が健全なうちに何としても」 という一念に、一刻も早い解決を祈ら ずにはおれない。
僻地で闘える医師を育成する 【僻地医療への挑戦】 藤学 (鹿児島県薩摩川内市下甑手打診療所所長)
離島の医師として日々島民の診療に従事しながら、会社の社長として僻地医療の仕組みづ
くりに奔走している医師がいる。 齋藤 学氏、 48歳。 氏が僻地医療にこだわる理由とは、僻地
医療が抱える現状とは。 氏の七転八起の歩みと共に赤裸々に語っていただいた。 自分の頭だけで考えず、各分野で頼み事ができるネットワークを築けたら、それが自分の強 みになるのです。
「事故の真相を知りたい」 その父親の一念がドライブレコーダーを生んだ 片瀬邦博 (元全国交通事故遺族の会理事)
28年前、 東芝の技術者だった片瀬邦博さんは長男の啓章さんを突然の交通事故で亡 くした。 片瀬さんは事故の真相を明らかにしたいという一念で、事故を映像で残すための
開発に取り組む。これが後に国内外に広く普及するドライブレコーダーである。開発に至る
様々なご苦労を交えながら、これまでの歩みをお話しいただいた。
いろいろな困難にぶつかりましたが、歯を食いしばって頑張っているうちに、 何かが閃いたり
してもうダメかと思う状況を何とか切り抜けることができました。