宇都宮木鶏クラブ

鈴木大拙に学ぶ人間学

2020年08月20日

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大貫

致知 2/ 8 月号

特集 「鈴木大拙に学ぶ人間学」 読後感想

1 はじめに

鈴木大拙(以下、大拙)は明治3年(1870年)、 石川県金沢市に生まれる。 若い時に 上京し、 鎌倉円覚寺で主に釈宗演老師に就いて参禅すること数年、 見性(人間の根源的な本 性を体得すること)を果たす。 やがて禅の世界の奥義を極めるとともに、広く大乗仏教の思 想を学び、 後年、大谷大学教授に就任することによって日本浄土教の霊性にも深い理解を得 る。 戦前の在米中、 「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」 (すべての人を救済 するという誓い)こそが仏教徒の根本であることを自覚し、その後はこの願いをひたすら生 き抜く人生であった。

今や禅(ZEN)は、 世界で広く通用する言葉になっている。 これは大拙が昭和初期、当時 の禅研究の第一人者であり、 海外に向け禅の思想を執筆や講演活動を通して、精力的に紹介 したからである。 当然のことながら、 禅を世界に知らしめ、多大なる影響を与えた。 しかしながら、 禅語や仏教用語、または専門用語など極めて難解なこともあり、 日本にお いては大拙の名前を知る人は少なくなった。

日本語 英語を合わせると生涯に発表した約100冊にものぼる著作。 その多くは禅の奥

深い心理を語る難解なものだが、一方でそこには絶えず生身の人間、 人生を見つめながら思 索を続けた大拙の人間学が鎮められている。 日本人のみならず、世界中の人々にも深く響いた大拙の言葉の数々。 それらは時代を超え

て、まさにいまコロナ禍の世界で起こっている問題について、 言及しているようにも感じら れる。 大拙が今の私たちに伝えたかったことは、一体どのようなものだったのか? また大拙が求

めていた世界とはいかなるものなのか?

大拙が95年の歳月をかけて希求したものを探く求めてみたいと思う。

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2 禅について

およそ2500年前、 瞑想により悟りを開いた釈迦により開祖された仏教を起源とし、西 暦520年頃に釈迦から数えて28代目の達磨大師により禅宗として中国に伝えられ発展す

る。日本の禅はこの中国禅がベースとなっている。

日本では鎌倉時代に伝わり、室町時代には日本の仏教の一つとなり本格的に浸透し始め、 その教えは武士から庶民階級にまで広がり、室町幕府は禅宗を保護・統制するようになる。 以後、日本各地に禅寺が建てられ、 京都には南禅寺を頂点とした五山が反映する。 修行や思 想はもとより、 水墨画や書、 作庭など禅にもとづいた文化芸術が盛んになり、やがて茶道へ とつながる。 このようにして、禅は日本文化の骨格をも形成したのである。

禅の教えの根本にあるのは 「不立文字(ふりゅうもんじ)」 という仏教の思想である。 文 字や言葉による教えとは別に、修行体験によって教えを伝えることである。 「不立文字」 は達磨大師が説いた 「四聖句 (しせいく)」のうちの一つでもあり、これら

はつながりあって悟りへ達すると説かれる。

【四聖句】

・不立文字(ふりゅうもんじ )

釈迦の教えは修行により体得することが重要だとする思想。 ・教外別伝 (きょうがいべつでん)

釈迦の教えは心から心へと伝達されるとする思想。 ・直指人心 (じきしにんしん)

「人の心を指し示す」 という意味で、座禅をして、 自分の心を見つめる修行。

・見性成仏(けんしょうじょうぶつ )

「直指人心」で己の心をしっかり見つめ、自分の内にある仏性を見つめる修行。

不立文字は 「四聖句」 の語句の始めに当たり、 「経典の言葉から離れて、ひたすら座禅す ることによって釈尊の悟りを直接体験する」 という意味となり、 禅の根本を示すものであ

る。

禅は、 更に発展し、 明治維新以降も日本の禅を基本とした 「ZEN」 が世界へ伝えられて いる。また、「マインドフルネス」という仏教の瞑想法に由来した瞑想法が米国で生まれ、 日本にも広がりを見せている。 「マインドフルネス」の目的は、 悟りを得ることではないた め、「禅」ではなく、 「ZEN」 に近いものである。

(参考)

禅座禅をすることで心を空にし、 我欲に左右されず真実を見つける仏の心。 ・マインドフルネス: 座禅を科学的に分解・分析して瞑想と呼吸により身体的な効果を 得る手段。

・ZEN: 座禅をマインドフルネスとして目的をもたせ禅を概念とし捉えた思考。

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3 鈴木大拙の求めた世界

東洋思想の精華 (本文P57・1段目 ~ P58・3段目)

「仏教の中で最高峰は華厳思想だ」 と言われていたということです。事物と事物が無 に融合しながら、しかもそれぞれであるという 「事事無礙」の世界。 これが東洋思想の最 高峰、 精華だと。 (本文P582段目)

『華厳経』 に盛られてある思想は、実に東洋ーインド・シナ 日本にて発展し温存せら れてあるものの最高頂です。 般若的空思想がここまで発展したということは実に驚くべき 歴史的事実です。 もし日本に何か世界宗教思想の上に貢献すべきものを持っているとすれ ば、 それは華厳の教説にほかならないのです。 『仏教の大意』)

【華厳経】

大乗仏教の主要な経典の一つ。 釈尊の悟りの光景や菩薩道などを説く。 仏の悟りの 世界とそこに至る道を説き示し、 「存在するものはすべて心の表れである」 「小が大で あり、一つが全体である」 など、 真実の生き方への提提言であるとともに、 一人ひと りがかけがえのない固有の世界の創造者であることを説く。

大拙は華厳経の世界観を高く評価し、 霊性を生き生きと躍動している経典を重視した。 華厳宗の説く 「事事無礙法界」 は、 その根本に仏の大悲が働いていることを見失わないこ ととある。 大拙はその辺について、 「華厳の事事無法界を動かしているの力は大悲心に ほかならぬのです」と明言しており、この大悲心を見失ったところに戦前の大きな問題が あったと指摘している。

【四法界】 (現象世界に対する四つのものの見方)

・事法界 (じほっかい) : 我々凡人の普通の物の見方。

・理法界(りほっかい) すべての物に実体はなく、空であるという見方。

・理事無礙法界(りじむげほっかい) 実体がなく空であるという理と具体的な物事

が妨げあわずに共存しているという見方。

・事事無礙法界 (じじむげほっかい) : 一切の物が空であるという姿を消し一切の物

事が妨げあわずに共存しているという見方。

「感性に訴えかけてくる」(本文P58・3段目 ~ P59 2段目)

阿弥陀仏の絶対無条件の大悲によって、 この身このまま救われると。 これはインドにも なかったし、中国にもなかった。 そういう意味で、日本的霊性と呼びたい。

(P591段目)

日本的霊性の情性的展開というのは、絶対者の無縁の大悲を指すのである。 無縁の大悲 が善悪を超越して衆生の上に光被してる所以を最も大胆に最も明白に闡明してあるのは、 法然一親鸞の他力思想である。 絶対者の大悲は悪によりてもさえぎられず、 善によりても 拓かれざるほどに、 絶対に無縁―すなわち分別を超越しているということは、日本的霊性 でなければ経験せられないところのものである。

(『日本的霊性』)

日本人は島国にあって、千年以上も共同して暮らしてきた。 そこに、共通の宗教意識が 育まれてきた。 つまり、主に日本において発現し、かつ歴史的にも共有されてきた高度な 宗教意識を日本的霊性というのである。

大拙は、その日本的霊性の知性方面に現れたのが禅で、 情性的方面に現れたのが法然一 親鸞の浄土教だというのである。

その本質は、「無条件の救い」 にあるわけで、 私たちが何か善いことをすることによっ て、その引き換えに救われるのではなく、仏の大悲によって、 この身このまま無条件に救 われるという自覚を見出したのである。

子どもの遊びに禅がある (本文P59 2段目~ P59 4段目)

先年アメリカで出た小説みたいな本に、子供の生活を描いたのがあって、 それが一時は、

ベストセラーになった。 その中に、 次のような会話がある。 子供がしばらく留守し、 帰っ

て来たので、家のものが訪ねた。 「お前どこへ行っていたの?」 ( “Where Did You Go?” )

「外にいた。」 ( “Out.”)

「何していたの?」 ( “What Did You Do?” )

「何もしていないの。」 ( “Nothing.” )

これだけの会話だが、 自分はこれを読んで 「ここに東洋的 「自由」の心理が、いかにも脱

酒自在に挙揚せられている。 実に菩薩の境地だ」と関心した。 (中略)

それから、次の 「何もしていないの」には、 無限の妙味がある。 子供心理の全面が何らの

飾りもいつわりもなしに、 赤裸々底に出ている。

(『新編 東洋的な見方』)

大拙は、この会話の最後の子供の回答、 「Nothing」 は、 禅の世界を余すところなく表現し

ているという。

何もなかったわけでなく、 何もしなかったわけでもない。 遊びの何かをし続けて、何もし ていない。それは、遊びに余念なく没頭していたのであり、それは目的なく、心のままに働くからなのである。

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鈴木大拙の見性 (本文P61 1段目~P61 4段目)

『衆生無辺誓願度 (しゅじょうむへんせいがんど)』

「予は近頃、 『衆生無辺誓願度』 の旨を少しく味わい得るように思う。 大乗仏教が この一句を四誓願(しぐせいがん)の劈頭にかかげたるは、直に人類生存の究竟目的 を示す。 げに無辺の衆生の救うべきなくば、この一生、 何の半文銭にか値いすとせ ん。」 (『明治三十四年(1901) 年一月二十一日付 西田幾多郎宛て手紙』)

「衆生無辺誓願度」とは、 「四弘誓願」 の初句である。 「四弘誓願」 とは、「衆生無 辺誓願度、煩悩無尽誓願断 (ぼんのうむじんせいがんだん)、法門無量誓願学(ほう もんむりょうせいがんがく)、仏道無上誓願成 (ぶつどうむじょうせいがんじょう)」 というものであり、 大乗仏教の道を歩もうと決意した者 (菩薩) なら誰でも共通に自 覚すべき願のことである。

大拙は当初、仏道とは煩悩の断滅によって成就するものであるから、 まずは修行に よる断煩悩から始めるべきだと考えていた。 それがあるとき、 まずは衆生救済の誓い があるべきで、それから修行も始まるべきことを得心したのである。こうして、 大拙 の仏教者としての根本がここに確立されたのであり、 また生涯を通じてこのことを貫 いていくのである。

『ひじ、 外に曲がらず』

アメリカへ行ってラサールで何かを考えていた時に、 〈ひじ、 外に曲がらず〉 とい う一句を見て、ふっと何か分かったような気がした。 うん、これで分かるわい。 なあ るほど、至極あたりまえのことなんだな。 なんの造作もないことなんだ、 そうだ、そ うだ、ひじは曲がらんでもよいわけだ、 不自由 (必然) が自由なんだと悟った。 (秋月龍珉『人類の教師 鈴木大拙』)

若い頃東京に出てきた大拙は、 自己や生死を明らかにすることに関心があった。 そ してアメリカに渡るという話が出てきた時、 大拙は渡米を決意するとともに、臘八摂 心(ろうはつせっしん) (釈尊の成道会、 十二月 <臘月〉 八悲を期して一週間、 厳し い集中的座禅修行を行う行事) に真剣に取り組み、 この時、 見性という禅でいう一つ の悟りを得たのである。 さらにアメリカに行って、 「ひじ、 外に曲がらず」 の句によって、徹底できたと自

覚し得たのである。 「なんの造作もないことなんだ」 という言葉には、 大拙の正真正銘の境地を感じ取れるようである。

6

『自由の本質』

自由の本質とは何か。これをきわめて卑近な例でいえば、松は竹にならず、竹は松 にならずに、各自にその位に住すること、これを松や竹の自由というのである。これ を必然性だといい、そうならなくてはならぬのだというのが、普通の人々のおよび科 学者などの考え方だろうが、これは、物の有限生、あるいはこれをいわゆる客観的な どという観点から観ると、その自由性で自主的にそうなるので、何も他から牽制を受 けることはないのである。これを天上天下唯我独尊ともいうが、松は松として、竹は 竹として、山は山として、河は何として、その拘束なきところを、 自分が主人となっ て、働くのであるから、これが自由である。 (中略) 松が竹にならぬというのは、人 間の判断で、松からいえば、いらぬお世話である。松は人間の規則や原理で生きてい るのではない。 こういうのを自由というのである。 (『新編 東洋的な見方』)

大拙が、西洋と東洋の違いがあるともっとも強調していたのが、 自由ということで ある。 西洋の自由、 すなわちフリーダムやリバティは、 何々からの自由という、いわ ばネガティブなものだという。 東洋に見られる自由は、何ものかの支配から逃げられ たことではなく、 自己の意のままに、 自己の意に即して、 まさに 「自ら申る」 なので あり、 それが本来の自由の意味になるのである。

生かされている自覚 (本文P64 1段目 ~ P64 4段目)

自らの価値を尊重するのが故に他のをもまた尊重するということは、 自と他とが何れも より大なるものの中に生きているとの自覚から出るのである。 (中略) 大なるものに包ま れているということは、自をそれで否定することである。 換言すると、 自の否定によりて 自はそのより大なるものに生きる。 そして兼ねてそこにおいて他と対して立つのである。 自に他を見、 他に自を見るとき、 両者の間に起こる関係が個個の人格の尊重である。 (『霊性的日本の建設』)

大拙は戦後まもない頃、 日本の将来と世界の将来を真剣に考え追求していた。 それは、 仏教思想を基盤にした新たな社会秩序の形成である。

大拙は他者を尊重してこそ、 自己も本来の自己を実現しうるということを、孔子の言葉 『己立たんと欲して人を立つ』(論語 雍也第六) によって語っている。 それは、 『己立 つは自分自身の道徳的人格を意識することであり、この意識は、まず『人の立つ』こと が要請される。 人が立てば己も自ら立つことになり、 己だけが立つということは、 人を立 たせなくなるのである。 このことが成立しないと、 自主性も主体性もなくなり、 自と他と 何れもより大なるものの中に生きているとの自覚さえも出なくなるのである。

7」

祈りの力 (本文P644段目~P654段目)

「自分の周囲に打ちひろげられる日々の惨憺たる光景を見せつけられたり聞かされたり すると、何としてもじっとしていられないのが人間である。 それは彼らの自業自得だと云 ってすましていられない。 それかと云って、 自分の力だけでは手の出しようもない。 此時 に心の底から湧いて出るのが祈りである」 『仏教の大意』)

大拙は禅者であるにもかかわらず、祈りを否定はしない。 人間、 ある状況の中におい

て、何とかしたいと思わずにはいられない時もあり、その際には祈ることも自ずからの行 為であるという。 いくら祈っても何も変わらないかもしれない。 しかし、祈らずにはいられない、このよ うな苦悩するままにその苦悩が浄化されるのである。 この已むに已まれぬ祈りの背景に、 大拙は深い霊性の働きを見ていたのかもしれない。

4 おわりに

15歳の時にニューヨークで大拙と出会い、 亡くなるまでその活動を支えた岡村美穂子と いう女性がいる。 当時の大拙の印象を 「一つ一つの動作に迷いがなく、 実に自然なのであ る」という。 そして大拙の死を見とどけた岡村美穂子は、 「先生は、あたかも本来いなかっ た人のように、どこにも跡を残すことなく、消え去られました」と当時の寂しい胸の内を語 っている。

彼女は大拙の面影を探そうと彼の自宅でいろいろと取り出してみるが、 何処にも師の気配 を感ずることはなかったと言う。 何とも慰めようもない気分になって、 外に出てみると、庭 は何事もなかったかのように自然のままであった。 玄関の脇でたたずみ、 ふと、 そばにある 松の木を見た。その枝が風に吹かれている姿を見た瞬間、 「ははあ、これだ。 先生は」 と悟 った。以来、心静かにしていると、あそこにもここにも大拙の姿を見つけられるようになっ たと言う。 (『思い出の小箱一鈴木大拙のこと-』)

座禅を通して無の境地を切り拓いた大地は、無のゆえに何ものにも囚われることがない。 それゆえに全てを包摂した。 自然を包み、 人々を包み込んだ。 だからこそ、 大拙は死んで自 然の中で、 彼と出会い関わりあった全ての人たちの中で今も蘇生しているのである。

若干21歳の青年大拙は、自己の救いを求めて、 禅の修行をひたむきに実践した。 大拙が その境地に到達した時に、 釈宗演老師より 「大拙」の居士号を受ける。 大拙とは 「大巧は なるに似たり」から採ったもので、 『老子道徳経』と 『碧巌録』 が典拠であるという。「拙」 は「つたない」とか「劣る」 という意味もあるが、むしろ 「繕わない」 「企てない」 という ような意味で命名されたのである。つまり何事にも囚われない境地の中に大いなるものが現 れるということである。 その後の大拙は、この名前が示す通りの人生を送ったことになるの である。

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