宇都宮木鶏クラブ
うつのみや木鶏だより
2月例会の報告
花をのみ待つらん人に山里の雪まの草の春を見せばや、 既に好時節の到来です。 それでは早速、 平成23年2月4日 (金) に宇都宮市文化会館に於いて開催された第 184回宇都宮木鶏クラブ例会のご報告を申しあげます。
今月はメイン読後感想発表者のいない例会で、各自の読後感想を含めたフリーデス カッションとなりました。 参加人員は7名で、 司会進行の飯田さんには、 急な変更に も拘らず例会を纏めていただいて、ありがとうございました。
また、論語教室も素読を休止し、 特集テーマの 「立志照隅」にちなんで、 下村湖人 著 「論語物語」から「志をいう」の章を読みました。 「老人の心を安らかにしたい。 朋友とは信をもって交わりたい。 年少者には親しまれたい。」 と、 自分を抜きに思い を巡らす孔子の志、 その師の心境に少しでも近づきたいと願う顔の志。 そして正義 感を振りかざし立身出世を望む子路の志、 その子路に憐憫の情を懐き心を砕く孔子の
姿。孔子学園で織り成す人間模様は、映画の名場面を見るよな趣きがありました。 その後、五十嵐代表より致知出版社新春特別講演会の報告があり、 96 歳の伊與田 先生が自から古典 「大学」 の素読をされて、 自分の声を自分の耳で聞き読書百遍すれ ば意は必ず通じる、 漢字一文字の意味に学べと諭されたとのことです。 また、 木鶏ク ラブ会員には是非とも 「四書五経」 ぐらいは読んで欲しいとのことだそうです。 久しぶりに参加された深澤さんには、 趣味として農地を開墾中とのこと、理想とし
ては自給自足の生活をしたいとの願望を聞き、 柳井&岩倉両氏の対談より、 本田宗一 郎の魅力について言及された。 また五十嵐さんは、日本人としての「ほこり」 を取戻 日本の文化を世界にひろめよ。 その一例として速さよりも運行の正確性を誇る新 幹線を世界に売り込めと訴えられた。 沼尾さんは、 京都吉兆の徳岡氏の「心と心が呼 応するサービス」の言葉に自分の経験をダブらせて、仕事が終わった後にお客さんか ら掛けられる感謝の言葉が生き甲斐ですと言い、 飯田さんも、お客さんが感謝の涙を 流すようなサービスをしたいと話された。 大沢さんは、ニーチェの言葉から「今のこ の人生をもう一度繰り返したいと思うような生き方をしたい」と抱負を語られ、 青木 さんはリードの「一隅を照らすとは自分自身を照らすことである。」 に注目、 浅田 長の教育基本は「立腰、 、 挨拶」 にあると、 幼児教育の大切さを述べられた。 皆様の志が花開いて、 実を結ぶことを祈ります。
以下つぎの通りです。
私の感動のページ 大沢さん(命のメッセージより。 人生には「何かおかしいぞ」 と 思う知性と、 自分を見詰める空白の時間が必要である。) 沼尾さん (命のメッセージより。 日本人の感性は自然環境に培わ れ、その基礎を作った農業は日本文化そのものである。) 五十嵐さん(自分の都合で人は来ない、 客の都合に店を合わせよ) 大沢さん(郵便物の受け取り方ひとつに、店の心が透けて見える) 青木さん (孔子の望みには私利私欲がない、学んだ事は実践せよ)
自己表現
次回例会は3月4日 (第一金曜日)、会場は宇都宮市文化会館で、 読後感想発表者 は江連会員の予定です。
有用と無用も無用。
ある企業には10人の社員がいました。 不景気なので一人減らし、また一人二人と 減らし続けて、 社長一人になってしまいました。 もしかすると自分がいなくても、こ の会社はやって行けるのではとうとう社長までも減らして誰も居なくなってしま いました。 笑い話も、このご時世には身につまされる話です。 無駄、 無用と度を越し た節約は大変な事にも成りかねません。
さて、中国古典の荘子は「木鶏」で有名ですが、 その 「荘子」 の中には、こんな話
もあります。
恵氏が、 荘子に 「君の言う事は、現実には何の役にも立たないよ。」と言った。 荘子は「無用の何たるかを知っている者だけが、有用のなんたるかを理解出来るのさ。 例えば、大地は広いけれども人が歩くのに必要なのは足を踏む広さだけさ。 だからと 言って地下深くまで掘り下げてしまったらどうなるもんかね。」 と言った。 恵氏は 「危なくて歩けはしないよ。」 と言った。
荘子は、「それ見ろ、無用なところが如何に有用か、 これで明らかじゃないか。」 と恵
子に言った。
役に立たないところにも意味がある。 「無用の用」を発見せよ、と言う話です。 いま街中には5~6mもある歩道が設置されていますが、 人が歩くには肩幅程度の歩 道があれば足りるはず。 極端に言えば左右交互に、 歩調に合わせて靴底のあたる程度
の面積があればよいのです。 よって、 平均台のような歩道でも十分な筈なのに、 実際 には危なくて歩けない、と言う事は無用な部分も有用、 必要であると言うことです。 人はみな有用の用を知りて、 無用の用を知るなきなり。」 人は皆、 必要性のある物 や事にのみ捉われ、 無用と思われる物事には見向きもしない。 しかし、世の中は有用 なものと無用なものによって成り立ち、何事も無用と切り捨てては有用なものも成り 立たないと、 荘子は言っています。
人は、 善悪の是非や利害得失など社会生活を営むための知識を得て、 一隅を照ら
して社会貢献せよと教えられます。 しかし、それは社会の枠組みにとって有用なので あって、個人にとっては、それがストレスや迷いの原因になるかもしれません。
迷いの原因となる煩悩という無用なものを取り除けば、 有用な悟りが開けると言い ますが、しかし真実は、 無用と思われる煩悩の一つひとつの中に悟りにつながる智慧 が含めれている、 煩悩あっての悟りなのだそうです。 つまり無用のなかにこそ有用な ものがある、 有用は無用なものによって成り立っているのです。
有用が、 形あるものを用いることであるならば、 差し詰め無用は、眼に見えないも のを観て、聞えないものの声を聴くということかもしれません。
いろいろと理屈を並べてきましたが、 私達の人生の最後には、 孔盂の教えなど通じ ない、どんな理屈を並べようと理屈では通らない、 有用無用など何の役にも立たない 「死」という現実がやってきます。出来ることなら有用無用の「はからい」など捨て て放下の世界で遊んでいたいものです。
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