【里仁第四】 仮名論語P41
あしたにみちをきけば、ゆうべにしすともかなり
【現代訳】 仮名論語
「朝に人としての真実の道を聞いて悟る事ができれば、夕方に死んでも悔いはない」
【意味】 ドラえもん はじめての論語
ある日の朝、人はどのように生きたらいいのかがわかったなら、その日の夜に死んでもかまわない。
【感想】
この章句はわかるようでわからない。解釈が難しいという事もあって、なんとなく読んでいた章句なんですが、今回、孔子が伝えたかった事を考えてみようと思いました。
何年か前に「論語に学ぶ実践の会」で「道」とは「生き方」だと教えてもらいました。不遇の時代を生きてきた孔子の思想が深まっていく中で「道」とは人生のテーマ。一生を懸けて追求すべき目的。そのテーマである「道」について誰かが答えを持っているとしたら、人生の目的がなくなる。それでは生きている意味がないから死んでも良い。ということになってしまう。
実際には誰にもそれが分からないから価値があり、一生を懸けて取り組むに値するテーマだと伝えたかったのではないかと思いました。
道を「自分の人生」と置き換えると、わかりやすいかなと思って、、、「60歳までにこうなってこんな事をしています」って教えられたら、やる気も出ないなぁと思って、分からないからこそ「思いがけない喜び」や「感動」があって人生に活力が生まれるのかなぁとか思いました。
カテゴリ:論語(古典・東洋思想・知識・見識)
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