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ヒトノワ中の人日記

運鈍根

2022年11月01日

今回のテーマは「運鈍根」と言うテーマでした。
漠然と漢字からして根性とか運命という感じなのかなと思って表紙を開きました。

まず「特集」を読んだんですけど、、、
運は「めぐり合わせ」で鈍は「誠実ということ」、そして根が根性の根であると書いてありました。
いつも誠実と聞くと難しいなと思っているんですが、、、以前、「論語に学び実践する会」で「誠実とは誠のことである」と教わったんですが、これは中々自分では気づけなくて、、、誠実に向き合いつづけることで本質に気づくという事なんですよね。
以前、勤めていた会社の先輩に「おまえは営業に向いてる」って言われたことがあって、自分では話が得意ではなかったので冗談だと思っていたんですが、後々、営業は聞く力が必要だと知って、、、先輩は私の特性を見て言ってくれていたんだと後から気づいたんですけど、、、運や根もそうですが、素直に話を聞いて誠実に実践していく事なのかなぁ、、、と思いながら中を読みました、、、

P32の田口さんの「安岡 正篤(やすおか まさひろ)百朝集に学ぶ人間学」の記事を読みました。

印象に残ったのが、P34の六中観のところで、以前代表にもらった安岡 正篤(やすおか まさひろ)先生の「日めくりカレンダー」で毎月月末に最後見ているんですけど、なんとなく見てるので「余裕をもって生きろってことかな?」ぐらいにしかかんがえてなかったんですけど、よく見たら具体的に内容まで書いてあって、、、
 ・「死中 活有り」 → 身を棄ててこそ浮ぶ瀬(うかぶせ)もある
 ・「苦中 楽有り」 → 苦しいときでも楽しみを見つける
 ・「忙中 閑有り(かんあり)」 → 忙しさの中でも心の余裕を見つける
 ・「壺中(こちゅう) 天有り」 → どんな境遇にあっても、自分だけの世界をつくる
 ・「意中(いちゅう) 人有り」 → 心から尊敬する人を持つ
 ・「腹中 書有り」 →  頭の中にある書は単なる知識にすぎない。 身心を養い、生きた人格を造り、賢明なる行動となる。
あらためて見ると、、、、なるほど、、、、ほとんど出来てないなと思って、、、前回の「致知」で無とはなんぞやという問で「大肯定の世界」「大地いっぱいの命」というのを知って、その後の「論語に学び実践する会」では最善観(さいぜんかん)が、そこに向かう思考そのものだと理解したつもりだったんですけど、、、「駄目だなこれは」、、、と思ったのが

死中活有り。苦中・樂有り。 忙 中・閑有り。壺中天有り。意中・
人有り。腹中・書有り。
安岡正篤

自ら處すること超然。 人に處すること藹然。 有事斬然。 無事澄然。得意澹然。失意泰然。
(明)崔後渠

ここに掲げられている十二項目に陥れはすべて、ややもすると正反対の 関係を 状態に陥りやすいのですが、「継続 に通じ は力なり」で修養を積み重ねてい相当くことによって、少しずつ身につと喝破いていくものでしょう。

て書いてあって、、、だからだ、、、と思って、、、これは、まさに「腹中 書有り」で知識として頭に入れるのではなくて体験を通して実践していかないと身にならないんだとしたら、少しずつ修養を積み重ねていくしかないんだろうなと感じました。

カテゴリ:致知

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