宇都宮木鶏クラブ

宇都宮木鶏クラブ第 363 回令和8年1月9日 (金) 致知 NEW

2026年01月11日

2026 January 1
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    大貫祐一
    致知特集 「拓く進む」 読後感想
    1 純国産量子コンピュータはこうして誕生した (本文 P12~ P21)
    純国産量子コンピュータ開発プロジェクトの過程で中村氏が大切にしてきたのは、 「独創性の反 対は人真似ではない」という考え方。 何もないところから突然独創的なアイデアが生まれること はなく、地道な学習や模倣 (人真似)の積み重ねがあって初めて、 新しいものが生まれると語る。 それはまさに、日本の製造業が大切にしてきた「カイゼン」の精神に通じるものであり、日々の 小さな積み重ねこそがブレークスルーを生む土壌になると確信する。
    また、リーダーとしての中村氏の姿勢も印象的であり、自らが先頭に立ってグイグイ引っ張る タイプではなく、メンバーを信頼して任せるスタイルを貫いた。 異なる専門分野を持つメンバー 同士が、 最初は言葉が通じなくても、互いに歩み寄り、心を一つにしていく 「水平分業」 のチー ムワークが、 世界と戦うための日本の強みとなったのである。
    現在、二人は次世代の人材育成に力を注いでいる。 科学は世界のためにあるべきだという信念 のもと、得られた知見を 「ギブアンドテイク」 ではなく 「ギブアンドギブ」の精神でオ ープンにし、 若い世代が新たな道を拓いていけるよう支援を続けている。
    2 一生挑戦 一生勉強 (本文P22~ P28)
    現場一筋 60年、トヨタ技能系から初の副社長に抜擢された “おやじ ” の生き方
    トヨタ自動車で 「おやじ」 と慕われ、 現場一筋60年を歩んできた河合氏の歩みは、仕事への向 き合い方そのものを問う深みを持っている。 「負けてたまるか」 という反骨心、そして自分の決断 には自分で責任を持つという覚悟から、 あくなき挑戦の人生が始まるのである。 入社当時のトヨ タは、まだ現在のような巨大企業ではなく、 現場では徹底した 「改善」 が求められ、 「トヨタ生産 方式」 の確立期を肌で感じながら成長していった。
    河合氏の真骨頂は、 現場での具体的な 「改善」 の実践にある。 単に生産性を上げるだけでなく、 「仲間が楽になる」 「喜んでもらえる」という他者への貢献が最大のモチベーションになっていた という。 会社には業務改善を提案する 「創意くふう」という制度があるが、 賞金以上に、 自分の 工夫が誰かの役に立つ喜びこそが、 次なる改善への原動力となっていった。
    やがて河合氏は、技能職 (現場勤務) 出身者として初の部長、さらには副社長へと抜擢される。 学歴社会の壁を超えたこの人事は異例中の異例であるが、本人は何度も固辞した。 しかし、 「後輩 たちのために道を拓いてほしい」という言葉に背中を押され、 重責を引き受けた。 彼がリーダー として最も大切にしてきたのは 「信頼関係」 である。 「俺は勉強では勝てないが、部下一人ひとり のことは誰よりも知っている」と公言し、 個々の性格や事情まで把握した上で向き合った。 信頼 があるからこそ、厳しい叱責も 「愛の鞭」 として届く。 逆に信頼がなければ、それはただのハラ スメントになる。この信念のもと、一律の目標管理ではなく、 個人の能力と努力の度合いを見極 めた評価を行い、 人を育ててきたのである。

「きょうのベストは明日のベストとは限らない」。 78歳を迎える今もなお、 河合氏は朝6時に 出社し、 現場の空気を肌で感じ続けている。 現状維持を嫌い、常に「なぜ」 「どうしたらもっと良 くなるか」を問い続ける姿勢。 それは、仕事も遊びも 「こんなもんだ」 と思った瞬間に成長が止 まるという哲学に基づいている。 嫌いだった勉強も、 仕事を通じて一生の挑戦となり、一生の学 びへと変わった。 その生き方は、変化の激しい現代において、 現場からイノベーションを起こし 続けるための普遍的な指針を示している。 

安藤百福 時代を切り拓いたその信念に学ぶ (本文P 2-2 ~ P28) 

安藤氏の人生は、 順風満帆な成功談ではなく、度重なる逆境からの再起の連続である。 戦中戦 後の混乱で憲兵隊による拷問や巣鴨プリズンへの収監といった苦難を経験し、極めつきは、 四十 七歳の時、 理事長を務めていた信用組合の破綻により、全財産を失い無一文になるという挫折で あった。 しかし、 安藤氏はそこで絶望することなく、 「失ったのは財産だけだ。 その分、 経験が血 肉となった」と自らを奮い立たせる。 「転んでもただでは起きるな。 そこらへんの土でも掴んでこ い」という言葉は、 氏の不屈の精神を象徴するものであり、 その後の発明家人生を支える強靭な バックボーンとなり得た。 

1958年、 世界初の即席麺「チキンラーメン」 が誕生。 「発明はひらめきから。 ひらめきは執念 から。執念なきものに発明はない」 という言葉通り、 一日四時間の睡眠で研究し続けた凄まじい 執念が結実した瞬間である。 

安藤氏の非凡さは、単に商品を開発するだけでなく、 「新しい事業構造」 そのものを作り上げた 点にある。 自らルートを開拓し、大量生産・大量販売の仕組みを構築する。 「時計の針は時間を刻 んでいるのではない。 命を刻んでいるのだ」 と語り、ラーメンを売るのではなく、 調理時間を短 縮することで人々に「時間」という価値を提供しているのだという誇りを持っていた。 

61歳の時、 新たな挑戦として 「カップヌードル」 を生み出す。 ここでも安藤氏は利益を独占せ ず、 特許を公開して業界全体の発展 (森としての繁栄) を優先した。 

晩年もその情熱は衰えることなく、 90代で宇宙食ラーメン 「スペース・ラム」を開発し、亡く なる直前まで現役を貫いた。 「人生に遅すぎることはない。 六十歳、 七十歳からでも新たな挑戦は ある」 九十六年の生涯を通じて挑戦し続け、 時代を切り拓いた安藤百福氏のこの言葉は、 超高齢 社会を生きる私たちにとって、 未来を明るく照らす力強いメッセージとして響き渡る。 

4 かくしてV字回復は成し遂げられた (本文P52~P61) 

塚本 堀両氏に共通するのは、 現状に満足せず、 常に 「感動分岐点」 を超える価値を提供しよ うとする姿勢にある。 塚本氏は「毎年少しずつでも変化させ、 進化し続けること」 の重要性を説 く。 堀氏もまた、 相模湾という地域の宝を最大限に活かしつつ、 常に新しい展示や企画を付加し ていくことで、リピーター (ファン) を育ててきた。 

組織再生の要諦は、 制度や設備の刷新以上に、 そこで働く人々の 「意識の変革」にあると考え られる。 

まず注目したいのは、現状を打破するための 「問いの立て直し」 である。 塚本氏が 「有料だか ら客が来ない」という外的要因への言い訳を退け、 「魅力がないからだ」 と内部要因に目を向けさ せた点は、 組織風土改革の重要な一手になる。 できない理由を探すのではなく、 「何があれば選ば れるのか」へと思考を切り替えるアプローチは、閉塞感のある職場において非常に有効な手段と なり得るものである。 

また、 堀氏が実践した「クレド」 による理念浸透も、多様な人材を抱える組織において示唆に 富んでいる。 専門職やアルバイトなど異なる立場の従業員が、一つの方向性を共有するための「共 通言語」 を持つことは、 現場の自律的な判断を促す上で欠かせないものである。 

さらに、 理念を額縁に入れて飾るだけでなく、日々の業務で迷った際の 「立ち返る場所」とし て機能させている点は、 エンゲージメント向上に寄与するところでもある。 

そして、「小さな変化の積み重ね」 という視点も重要になる。一度の大きな改革で終わらせず、 毎年少しずつ進化を続けることで、顧客だけでなく、働くスタッフ自身にも新鮮な驚きと誇りを もたらす。 「感動分岐点を超える」という目標は、顧客満足のみならず、 従業員満足を高め、 組織 の一体感を醸成する原動力になると考えられる。 

5 自立自尊の国、日本へ拓き進め! (本文P62~P70) 

「郵政民営化の功罪」 

民営化によって日本郵政が保有していた約360兆円の資産のうち、 約137兆円もの巨額な減 損が生じた。 かつて郵便貯金や簡易保険として国民から預けられた資金は、「財政投融資」 とい う仕組みを通じて、道路や学校などのインフラ整備に低金利で活用され、 国民生活の向上に寄 与してきた。 

しかし民営化以降、 その資金は利益追求のために高リスクな海外投資ファンドなどで運用さ れるようになり、結果として国民の資産が失われ、 海外の利益のために流出する構造へと変質 してしまった。 さらに、 現場の視点からも、地方の特定郵便局が担っていた地域コミュニティ の拠り所としての機能が失われ、 手数料の値上げやサービスの低下により、国民の利便性が損 なわれている現状がある。 郵便事業は単なる金融ビジネスではなく、 本来は国民の生活と財産 を守る公益性を最優先すべきであり、行き過ぎた民営化を見直すべき時期に来ている。 

「移民政策と労働市場」 

安易な労働力不足の解消を目的とした移民政策が、 賃金の抑制を招き、 日本経済全体のデフレ 圧力を高めている。 

かつての高度経済成長期には人手不足を移民に頼るのではなく、技術革新や生産性の向上で乗 り越えてきた歴史があり、現在の企業が、 株主配当を最大化するために人件費を抑えようとし、 その手段として低賃金の外国人労働者を求めている構造こそが問題なのである。 

また、欧州などの事例にもあるように文化や価値観の異なる移民の急増が治安の悪化や社会的 分断を招くリスクについても多大な懸念を示している。 労働者を単なるコストとして扱うのでは なく、 まずは国内の雇用安定と処遇改善に全力を尽くすべきであり、外国人を受け入れる場合で も、しっかりとした日本語教育や法整備が不可欠である。 

「対米従属と経済停滞」 

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日本の経済停滞の根底にある 「対米従属」 の構造で、 「失われた30年」 の原因は、1980年代以 降のアメリカによる日本経済弱体化政策にある。 プラザ合意や年次改革要望書などを通じて、 日 本独自の経済制度や商慣行が解体され、アメリカに有利な形へと変更を余儀なくされてきた。 

なぜ日本が理不尽な要求を飲み続けてきたのか。 その最大の理由は、軍事的に自立していない ことにある。 自衛隊の主要装備やシステムをアメリカに依存している現状では、真の対等な外交 関係は築けない。 真の独立国家となるためには、防衛装備の国産化を進め、 軍事的な自立を果た すことが不可欠であり、 それが結果として経済的な自立にも繋がる。 経済政策においては、積極 的な財政出動と減税を行い、 デフレからの脱却を図るべきである。 

「歴史認識と精神的自立」 

日本人の精神的支柱となる 「歴史認識」 と 「価値観」 の重要性について、 戦後、GHQの占領政 策によって行われた検閲や焚書、そして教育改革により、 日本人は自国の歴史に対する誇りを失 い 自虐史観を植え付けられた。 

また、伝統的な大家族制度や地域社会の破壊が進んだことで、日本独自の精神性が希薄にもな った。 日本古来の統治や経営のあり方は、 欧米流の 「支配と搾取」 ではなく、 互いに面倒を見合 う「共存と信頼」に基づいていたのである。 

グローバリズムや株主至上主義が広がる中で、 格差や分断が進む現代だからこそ、 先人たちが 大切にしてきた日本的な価値観や歴史への誇りを取り戻すことが急務になる。 他国に盲従するの ではなく、自らの歴史と文化に立脚した 「自立自尊の国」 を築くことこそが、 日本の明るい未来 を拓く唯一の道なのである。 

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