宇都宮木鶏クラブ

貫くものを

2024年09月07日

沼尾トミエ
2024年9月6日

貫くものを

IPS細胞を活用したがん治療で夢の医療を実現する

IPS細胞の作製に世界で初めて成功したのは山中伸弥氏がノーベ ル賞を受賞したのは2012年のこと。

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当然やっつけやすいがんとやっつけにくいがんがあります。 とこ ろが、がん細胞というのはお城みたいなもので、本丸に辿り着く前 に塀や石垣があり、結構頑丈に守られいるんです。 ですから、 仮に 裸になったがん細胞がいて、 T細胞という兵隊が来たら簡単にやっ
つけられるんですが、 塀や石垣を越えていくというところは、やは
り色々な工夫をしなければいけません。
最初から「全部治せます」 とはなかなか言いにくいんですけど、 最終的にはどんながんでも治療できると思っています。

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以前、 高田社長のご講演を拝聴した際に、一番心に強く残ってい るのが「一所懸命に取り組んでうまくいかなかったら、それは失敗 ではない」 という言葉です。
人の命を救うとか世のため人のために生きるというミッション があって、これは永遠に変わらないと思うんですけど、それを やっている過程において、 やっぱり僕は 「いまを生きる」こと が一番大事だと思っています。 あまり過去とか未来に翻弄され ずにいまをやり続けていれば、絶対に目標に近づいているんじゃ ないかなって。 継続する、 やり続ける。

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お祖父様やお父様から特に影響を受けられたことは何ですか?
二人とも優しいですね。 患者さんと話しているのを時々覗き見し ていても、とにかく優しい。 お年寄りに対してあんなふうに接する のかと。 そういう姿に触れながら、 自分もこうなりたいと思ってい ましたね。

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その新先生がおっしゃっていたのは、経営者は「能力的にできる 人」 だけでは絶対ダメだと。 「人間的に出来た人」 になれと。 やっ ぱり人間性をつくっていかないと、人の上には立てませんよ。
だからそういう意味では「優しい」 って一語はすごく重いです し、 金子先生と接していると、お祖父様やお父様からそれをきちん と受け継がれているなと感じます。

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いまは叱られることに慣れていないから、ちょっと厳しく言った ら、すぐパワハラになってしまうじゃないですか。 パワハラ自体は 良くないことですが、 その人が成長するには、 時に厳しさも必要だ と思います。 どんなに厳しいことを言っても、 最後はやっぱり愛で 包む。 この両論があれば、 相手も厳しさを受け入れてくれる。 僕は いつもそう思ってるんです。

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「老後の初心忘るべからず」
初心っていうのは若い人だけの初心じゃなくて、 老後の初心もあ るんだと世阿弥が言ってますから、これからはまた新しい老後の初 心を貫きながら、百十七歳まで生きていこうと思っています(笑)。
「人は人のために生きてこそ人」
人生一回きりですから、お金や名声じゃなくて、 どれだけの人の 出逢って、どれだけの人を一生の中で幸せにできるか。 本当にそれ が一番大事ではないでしょうか。

与えられた運命を生かす

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あとはお話しするのが好きだということでしょうか。時々お洒落 をして友人とランチに出掛けたりするのですか、お洒落はその日会 う人への思いやりだと思うんですね。 前向き志向で楽しい目標を 持っていると、老いてもあまり衰えず、輝いて生きることができる のではないでしょうか。

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そして極め付けは義母からもらった金庫です。 ある日、「お祝い です」と言って、 ピカピカの手提げ金庫を持って来てくれたの。
「いくら入っているのかな、 これでお米を買おうか、 お酒を買おう か」と思いながら蓋を開けると、何も入っていない。 それで義母の 顔をじっと見たら、 こう言われました。 「一銭も入っていない金庫
にお金を入れるのはあなた、これを捨てるのもあなた。 すべて人の
せいにしないこと。 」

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お正月、 当館に二泊三日で奥様と招待しましたら、 その時に棟梁 が 「ちょっと話がある」 と。
ーーなんとおっしゃられたんですか?
「私は十四歳で大工の見習いを始めてから七十歳のいままで、こ の道一筋に歩んできた。 長い間の苦労が実って、積み重ねた貯金が 一千万円以上ある。 かねてこのお金を活生かしてくれる人に使って もらいたいと考えていたが、そういう人に巡り合えなかった。 しか し、こちらで仕事をさせていただいているうちに、あなたなら大丈 夫だと思った。 ぜひともこの一千万円を使っていただきたい。 担保 も利息も要らなければ、返済期限もなくていい」 と。

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五年ほど経ってから奥様に全額返済することができました。
見返りを求めず、 ただひたすらに一所懸命に仕事をしていたか ら、そういう方と巡り会えたんですよ。 だから、 私は本当に感謝っ て言葉を忘れないです。 自分一人の力なんてものすごく小さい。 皆 が助けてくれるからここまで続けることができると思います。

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その中で私がずっと貫いてきたものを一言で表現すれば、 それ は、「与えられた運命を生かす」 ということです。 愚痴や文句や批 判を言わず、辛い時も苦しい時もその境遇を受け入れて、一所懸命 やっていれば、必ず助けてくださる人との出逢いに恵まれ、 よりよ い方向へと発展していく。 与えられた運命を生かす。 これが私のお 腹から出てくる言葉ですね。

はなちゃんのみそ汁

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五歳の誕生日でした。 妻の千恵は、はなの四歳誕生日にエプロ
ンと包丁をプレゼントし、それから一年間、 包丁の使い方や調理の
段取りを教え、一緒に朝食のみそ汁を作りました。 しかし、五歳を
迎えたのをきっかけとして、 千恵は一切口出しすることをやめ、 鰹
節を削って出汁をとるところからすべてをはなに任せたのです。
末期がんだった千恵には 「はなが一人でも生きていけるように」 という思いもあったのでしょう。 はなもまた、 千恵との約束通りに 毎朝台所に立ち続けました。

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千恵がはなにみそ汁づくりを教えたのは、 自らの死期を意識して
いたことともう一つ、食の大切さを伝えたいという思いがあったか
らでした。

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「日本中の家庭が毎朝毎晩、 食卓を囲むことができれば子供たち の問題行動は十分の一に減る」 という一文に線が引いてあるのを見 た瞬間、 千恵がはなにみそ汁をつくらせようと思った本当の理由が 理解できた気がしました。 と同時に「食べることは生きること」と いう自身の願いを、 僕とはなに託そうとしたことを確信したので す。

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ある光景に出合い、 僕は目を覚まされる思いがしました。 五歳の はなが台所にたっているではないですか。 はなは千恵との約束を思 い出し、その日から毎朝、 僕のためにみそ汁をつくってくれるよう になったのです。

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「それっぽっちのことで辞めるんか。 根性ないな」
思わず発したひと言でしたが、後の祭りでした。 はなは目にいっ ぱい涙をためて訴えました。
「ママがいなくなった後も、 ずっとそうだった。 独りぼっちでご 飯を食べる寂しさはパパには分からんやろっ」
考えてみたら、はなは小学一年生の頃から誰もいない自宅に帰り、 冷蔵庫の中の料理を温めて一人で食べることも多くありました。 い つも 「全然平気だよ」 と強がっていましたが、 内心辛かったに違い ありません。

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翌日、はなが早朝に起きて千恵の遺影に手を合わせ、 「パパが倒 れたのは私が悪かったから。 ママ、 ごめんなさい」と謝り、 久しぶ
りに僕と並んで台所に立ちました。

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それからしばらく経ったある日、 はなが 「パパ、きょうはゆっく り休んでいて」と言いました。 何かの記念というわけでもなく、理 由を聞いてみると、その日は「母の日」で、母のプレゼントだとい うのです。
「だって、パパはずっとお父さん役してくれてたじゃない。」
僕は一瞬、 言葉が出ませんでした。 驚きと喜びか入り混じった心 境とはこのことを言うのでしょう、今も忘れ難い思い出です。 まさ に「子育ては親育ち」。嬉しいことも悲しいことも、はなは今日ま で数え切れないほどのプレゼントを僕に与えてくれたのです。

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