宇都宮木鶏クラブ
木鶏クラブ古典学習
論語 《里仁篇 第四≫ (一以貫之)
P43
子曰く、 参や吾が道は一を以て之を貫く
曾子曰く、唯!! 子出ず、門人問うて曰く
何の謂ぞ也
ちゅうじょ 曾子曰く、夫子の道は忠恕のみ
この意は、ある時孔子が弟子の曾参に向かって、 私は生涯にわたって 様々なことを行ってきたが根本は終始一貫、 変わることなく同じであると い こた 言ったのです。 それを聞いて曾子は、 「ただただ唯!」 と應えた。 孔子はこの返事を聞いて黙って講席を立って行った。 この席に連なって いた門人達が腑に落ちない顔で、曾子に「あれはどういう事ですか」と問 うたのです。 曾子は、 「先生が我が道は一を以て之を貫くと言ったのは、 忠恕と言う事だ」と答えました。 そして 「忠恕とは真心から発する他人へ の思いやりと言う事だ」と解説したのであります。 の解説は、一応結構なものであります。 しかしこれには、もっと深い意味 があるのです。
儒学者から禅の修行に入り、幕末、明治時代の大宗匠蒼龍窟今北洪川 禅師は、禅海一欄の書を著し、 岩国藩主 吉川堅物に献上しました。
あらず そして洪川禅師は、 《一とは数の義に非。 凡そ道の体なるや甚だ言い
難し。 其の用たるや亦測られず。故に強いて唱えて一というのみ。
よいの心
(からだあらずごろんあらず
ーとはこれ何ぞ! 四大に非、五蘊に非、汝の鼻孔に現在す。 若し言
たいとう い得て諦当ならば、汝に許す。 一貫を見ることを》 と説いています。 こんに 要するに孔子の生涯の一切を貫いた言行云為の【一】とは、禅で言う 『父母未生以前における本来の面目』のことであり、 『真実の自己』 『主 人公』のことであります。
孔子はこれを【一】と名づけたのです。 これはまさに至言というべきで、何 をやっても何を言っても、 皆これ 【一】の現れであり、 孔子の自画像であり ます。 曾子が境涯の低い門人達の為に第二義、 第三義に下って忠恕を 解説したものであります。
この【一】は、 至誠と言っても、 仁と言ってもいいのですが、
しゅうし 芭蕉は、西行の和歌における*宗祇の連歌における *雪舟の絵 における * 利休の茶における
その貫くものは、【一】なりと説いています。
(感想)
我が人生
●一日限り、やり直しのきかないこの人生を、 生き甲斐あるように真実 の自己として正しく生きたい
五欲七情に動かされることなく、これを自分の手足のように自由に使
いこなし、 まことの自主、自由の人として楽しく生きたい
お互い相和し、相敬し合って自利利他円満に仲良く生きたい
94歳 堀井 淳彌(了空庵 無縄)
合掌