宇都宮木鶏クラブ
致知読後感想メーン発表者・・ 沼尾 トミア 会員です。
第356回宇都宮木鶏クラブ令和7年5月号の感想発表例会は宇都宮市豊郷市民活動センター 参加者13名で行いまし た。読後感想発表リーダー 進行は沼尾 トミヱ会員です。 致知4月号の特集は 「磨すれど 隣ろがず」 で、 沼尾会員 は、今回の特集が、 今年逝去された鍵山秀三郎氏の生き様をの追悼特集と捉えた。 「すさんだ心の集団、 会社ほど悲惨な ものはありません。 いくら経営利益を上げて新聞紙上でもてはやされても、私はそんな会社は決していい会社だと思いま せん。 それよりも郵便を届けて下さる方、 出前を持ってくる方、 商品を届けに来る人、 運送会社の運転手さんといった人 に思いやりが持てるような会社でありたいと思います。」 社員を大切にする会社、 私の人生体験の中で、申し上げられる のは、たとえどん底に落ちたとしても決して人生悲観することはない、 これから良くなっていけばいいじゃないか、 考え を好転することですね。 今回の特集 「磨すれど 隣ろがず」 論語陽貨第十七よりの出典だが、 鍵山秀三郎氏を偲んで、掃 除道トイレ掃除に便器磁器タイル磨きと捉えてしまったが、 論語では、孔子は諺を取り上げて、 『磨いても、 磨いても、 薄くならないものが真に堅いものであり、 染めても、 染めても黒ずまない物が真に白いものであると。』 しかし、ここで は鍵山氏を謂ったもので、 氏の掃除道への意志の堅さ、 道のはずれたものには染まらないと評したものであった。 掃除を 通して、 事業を成り立たせ、全国へ、 日本を美しくする会実践活動として、 トイレを素手で掃除を以て、 経営の本を知ら しめ気付かせた功績は大きいものである。 事業も人生もこの精神を以て、信念と貫くものと、 凡事徹底ということである と孫娘とともに学んだことはさらに伝承したことになる深いものでした。 木鶏30年の蓄積、感に入るものですね。
お気に入りの論語一章・仮名論語
大沢 栄 会員。 p57. 公冶長第五。
「子曰わく、平仲善く人と交わる。 久しくして人之を敬す」 直訳、 晏平仲は人と長く付き合うこと人間関係続けていける人、 長く付き合っていても、人から尊敬されるというほどの人でした。 長く、善く交き合うことの難しさ、 馴れ合いや我儘、 無遠慮などに よりうまくいかなくなる。 晏平仲は気配りや常に思いやり、相手を敬う心と態度を忘れなかったのでしょう。
「琴線に響くことは」
平塚 久雄会員
「歴史に 「もし」はないが、未来には無限の可能性がある」 歴史にはもしはない当たり前だが、 もしと想定して、 今がどうあるか、 歴史学びによく用いる手法である、 どうやっても過去のことは 変わらない現実、 しかし私たちは全て歴史の中、背景にあり、 常に影響を受けて生きている、 過去は生きている。 もしの想定は、 自分を振り返る価値を匂わせている。 その上で、今の自分は過去の蓄積の産物、 未来志向、 可能思考、 プラス思考で、 無限の可能 性を開ける。 手塚久雄会員のこの琴線に触れることばの推薦は、ハッとする気付きを招いている。
行徳哲男著 「感奮語録」より 命をかけた祈りであり、願いである。
その命から絞り出される厚き言葉は人々の眠れる魂を目覚めさせ、人の心に 感じて、奮いたたざるを得ない心に火を付ける。命は感じてこそ燃えるのである。
1855年の11月、 デンマークの首都コペンハーゲンに大雪が降った。 街の人たちが雪か きをしていると雪の中から一人の男が掘り起こされた。 その男を病院に運んだが、誰も が 「あんな野郎の世話なんかまっぴらだという。」 この人が哲学者キェルケゴールの最期の姿だった。
デンマークは宗教国家、 国が教会を建て、牧師は公務員。 キェルケゴールはこの国教攻撃をしたのである。 日曜ごとに教会の前に立ち「瞬間」というビラをまき教会攻撃をした。 『あなたたちは、 月曜から土曜までぼんやりと生きてこなかったか。 なんとなく朝起きて、 何となく仕事に出かけ、 なんとく仕事を終えて家に戻ってくる。 なんとなく家族で語らい、 何となく晩飯を食って、何となく床に入る。 何となく生きる事は、犯罪ではないが、罪である。 何故ならば、 生きるということは一度しかない、この繰り返しのできない、たった一回の生きるということを、月曜から土曜までぼんやり曖昧に生きて、日曜日になるとノコノコと教会に出かけくる。 アーメンを唱え、 十字を切り、 賛美歌を歌い、そして牧師の話しを聞くことによって、ぼんやり生きていることの罪を赦してもらえると錯覚する。 そしてまた、月曜日から曖昧の中で生きる。 あいまいに生きる事の罪を赦してもらうがため教会礼拝なんてやめてしまえ。 強烈に教会を攻撃したて石を投げられ時にはぶたれる。 キェルケゴールは、何の為に生きるのか、何の爲になって生きるのか。「私は紛れもなく生きてきた。」と雪の中で野垂れ死となった。 ほなくして、ヨーロッパは戦争の時代を迎える。 第一次世界大戦、オランダは、わずか一週間で陥落、ナチス・ドイツに占領され、 王族はイギリスに亡命、 植民地で栄えたオランダは、 東インド会社もろとも日本軍によって攻められ植民地は解放され、 オランダは亡国となった。 キェルケゴールは 「野生の鴨」 というあだ名をされた 「野鴨の哲学」 という話がある。 野鴨が野生の鴨であることを忘れてしまったという物語である。
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