宇都宮木鶏クラブ

子曰わく、 朝に道を聞けば、 タに死すとも可なり。 NEW

2025年03月08日

2025年3月 小森俊宣

【里仁第四】 P四一

子曰わく、 朝に道を聞けば、 タに死すとも可なり。
しのたまわく、 あしたにみちをきけば、 ゆうべにしすともかなり。

【仮名論語】 より
朝に人としての真実の道を聞いて悟ることができれば、夕方に死 んでも悔いはない。


【楽しい論語塾 安岡定子】 より解釈
おそらく孔子が語っている 「道」 とは、人として踏み外してはい けない正しい道、道義のことでしょう。 そしてそれをどうやって 身につけられるかということまでも含めて道なのだと思います。
ある朝、 人としての道が何であるかを聞くことができたら、その 日の夜に死んでもいい、 という意味です。

【超訳 論語 田口佳史】
命ある限り、自分の存在意義を追求しなさい。 その答えが垣間見 えたら「その日のうちに死んだっていい」くらいの気持ちになるだ ろう。
人はなんのために生まれてきたのか。
田口氏は、ズバリ、 「人は天の二つの望みに応えるためにこの世に 生まれてきた」という。 一つは 「愉快な人生を送る」、 もう一つは
「健全な社会をつくる」。

【自分なりに】
私はずっと、この章句が恐ろしい、怖いと感じてきました。 それはあまりに真剣な求道、道を求め極めるような気持ちが伝わっ てくるからです。 人生は真剣な時期も必要だし、 ゆるやかに過ごす 時期もあってよいはずです。 苦しいと思う時期にこそ、研ぎ澄まさ れるように感じ求める 「道」 があるのかもしれない、と気付きまし た。 年を取ったせいでしょうか。 真剣に求めていかなければ到底
「道」にたどりつかないということに気付いてきたせいかもしれま
ん。
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