宇都宮木鶏クラブ

貪らざるを以って宝と為す (子罕日、 我以レレ貧為レ宝) 春秋左氏傳 「襄公十五年」 NEW

2024年12月07日

琴線に響く言葉

貪らざるを以って宝と為す
(子罕日、 我以レレ貧為レ宝)
春秋左氏傳 「襄公十五年」

令和6年12月6日
手塚久雄

人から物を取り貪らない廉潔こそがわが家の宝である。 (子罕の言葉) むかし、宋人が夜、 子罕を訪ねて玉を献上せんとした。 子罕はこれを受け取らな い。 そのときのことばに、 汝は玉を宝としているが、 わたしは玉を受け取らぬこ とをもって宝としている。 もし、わたしが宝を受け取れば汝は汝の宝を失い、わ たしはわたしの宝を失うことになる、と教えたという。無欲であることを宝と
している。
言葉からの学び、 感想
欲をかかないということをよく表現していると思います。 物を貰う場合、 注意しなければならない。 なぜ呉れるか、目的は何かを考慮しなければなら ない、 特に仕事上では、受注を見込んで過分な贈り物を戴いたこともありま した。 そのようなときには、関係者で分け合い、 借りを無くなるようにした記 憶があります。 何もいらないと喝破した山岡鉄舟、 欲のない秋山好古を思い
出しました。

このような心境になれるように努力していきたく思います。

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