宇都宮木鶏クラブ
第346回例会
2024.7.5 (金)発表者・ 五十嵐薰
ししそうしょう
令和6年7月号特集テーマ 「師資相承」
京都広隆寺の弥勒菩薩見て、 「人間実存の最高の姿」 「美しさ」 過ちを犯した人
間じゃなかったら、 この美しさと気高さは表現できない。
過ちを犯した人間なら、この気高さ、 教え、 感じるだろう。
清濁併せ呑む。・・・清い、 濁る。 比喩的に言うと、正と邪、 善と悪、
「ウインブルドン ベスト8へ導いた一喝」 p63.
「修造の敵は、アガシでもサンプラスではない。 修造自身だぞ。 修造は修造を倒せ。」 ベスト8入りして、思わず寝がえって転がった。 あの日同じくベスト8入りした 伊達公子ガッツポーズ無しで、普通に相手と握手を交わしていた。
修造は聖地ウインブルドンに無礼をした。
真剣と深刻は違う。 徳とは、無類の明るさ。比べ物にならぬほど、 明るさ。
今の世の中は言い訳だらけ。 見事な言い訳。 巧みである。
真剣さである。 悲劇の主人公のような深刻さは、悲壮感が漂っている。 永平寺の僧の修行、身のこなしの軽やかさ、真剣には軽さがなければ。
軽さに 「あ」 を付けたら、 明るさになる。 明るい人が一番真剣。
試合を見に来た行徳先生、 流れがどんどん悪い方に、 厳しい活が入るかと思ったら、 ニコニコ笑っている。 挽回して勝てた。 深刻なのではなく、 真剣さ、 あの笑顔が 教えてくれた。
安岡正篤の徳とは、 「人間の徳性の根本は、 清新溌剌である。」 無類の明るさ。 リラックス。
n 活き活きとしている。 有事ほどに。
時代を動かすのは、 若者たち
若者たちに心から同情する。 若者から奪ってはならない三っを、 奪っている
一つに飢えない。 二に争いがない。 三に死ぬ気でぶつかるような偉大なる思想を、 与えていない。 若者たちはいらついている。 死ぬ気を覚悟すれば死なない。
生の躍動と充実、 其の極致は死である。
BE 研修の中で内観がある。 自分は死ぬということで、 その思いを書く。
生死一如派の哲学は、 死は生の完勝であり、 新たなる生であると喝破された。 先の戦争の特攻隊。 死と真正面から向き合う。 本気さ、強さ、 死に行く。
知識や理性に偏らず 行動あるのみ (行う、 試す やってみる、
3段目から4段目。 白隠禅師、 p66
P65.
迷いだらけの身だと思うことが本当の悟り、
2段目迄。 読み解く
迷いだらけ、迷いがあるというのは生きている証明、 森信三教えに、 人間悟れるわけ がない、悟った思ったとたんに迷いに落ちる。 迷いだらけの身だと思うことがほんと の悟りだと思う。
王陽明の言葉の中に、天下の事、万変と雖も我がこれに応ずる所以は喜怒哀楽の四者 を出です。 どんな激動激変の中でもこれに応じて生きられる。
何処を読んだか。 表題・真/p58 「紛れもない私を生き切れ」 対談 (表紙の顔) 日本 BE 研究所所長 行徳哲男 対談 スポーツキャスター 松岡修造
師と弟子が語り合う 「日本人にいま伝えたい 魂のメッセージ」
BE〘Basic Encounter Training〙 米国の行動科学と感受性訓練を東洋の禅と融合し、
【感性=紛れもない私」 を、取り戻す研修の創始者。 92歳。
◎何が書いてあったか (読み上げ)
p58. 行徳、 とにかく現代は虚構、 見せかけが多すぎる。 お世辞とかおべっかとか美辞 麗句が並びすぎる。 もう見事に飾り立てとる。
*本気とか本音というものに対して、 妥協しないほうがいい。
©著者は何がいいたかったか。 (何処に、主旨)
今、日本人にないを一番伝えたいか。 どう感じているか。 先生の声を聴きたい。 最大の危機はアイデンティクライシス (自己の存在証明の危機) p6
難解・・ p60n2段目読み上げ
いまどんな気持ちですか、 その問いを発する意味。
人間は好むと好まざるとにかかわらず、とにかくディフェンシブ
どうしても私達は他人を敵だと思う、敵から身を守るために、 鎧を付けたり、
兜をかぶり、防御する。
弱さを知ることが本当の強さp61
弱さ以上の強さはない。 人間が強くなるのは弱さを知った時だけ。強がっている人間、
粋がっている人間というのは弱さの裏がえしだから、現代人は気負
いだらけです。 気負い・・・気に負けている。
弱さを知ることが大事。
良寛の言う、「うらを見せ、表を見せて散るもみぢ」 良寛は自分の弱さと脆さを
弟子にだけにはさらけ出した。
両親の不仲が、「慣の一字」となった。 p62.
二人は口を開けば諍い、 大喧嘩、 両親の不仲が、 私の感性を鈍らせなかった。
憎んで刺し殺そうと思った親父、 p62の1・2・3段目
親父から徹底的に否定された、今では心から感謝している。 憎しみ以上の愛はない。 憎しみは最高の愛。 今日も息子と大喧嘩した。 これがエネルギーになっている。
煩悩を捨てるのではなく、 煩悩を食べる。 p62・・・ 4段目
煩悩、 妄念迷いの心、 心身を煩わしく惑わせる妄念。
本来は自然体。 あるがままということに。
息子とけんかするのも、 煩悩だから、抑える必要ない。
煩悩は、 厭うべきものでない。 煩悩こそ宝。
一見真面目、一見律儀、一見実直な人間たちの持つ偽善性、山ほど見てきた。
見せかけばかり。真面目という仮面を剥いだら、 そこに出てくるのは、卑怯さ、 冷たさ、 小賢しさ。
二人がそれぞれ師匠に学んだ生きざま。
むげ
P67. 3段目 一番教わったこと。 無礙自在
荘子に言う木鶏の如く、 気負わず飄々としていて、 何があっても
動じない胆力がる。
「正師を得ざれば、学ばざれば如かず。」 人生においてすばらしい師匠を
持つことがいかに大事か。
どう感じたか
cどう活用したいか、 するか
≪実践法>・・いつから,どこで、どのように、自己の経験実例
アイデンティクライシス (自己の存在証明の危機)
弱さ以上の強さはない。
煩悩、 妄念迷いの心、心身を煩わしく惑わせる妄念。
本来は自然体。 あるがままということに。
京都広隆寺の弥勒菩薩見て、 「人間実存の最高の姿」 「美しさ」 過ちを犯した人
間じゃなかったら、 この美しさと気高さは表現できない。
修造の敵は、 アガシでもサンプラスではない。 修造自身だぞ。 修造は修造を倒せ。」
試合を見に来た行徳先生、流れがどんどん悪い方に、厳しい活が入るかと思ったら、 ニコニコ笑っている。 挽回して勝てた。 深刻なのではなく、 真剣さ、 あの笑顔が 教えてくれた。
「人間の徳性の根本は、 清新溌剌である。」
無類の明るさ。 リラックス。 1 活き活きとしている。 有事ほどに。
一番教わったこと。 無礙自在・・むげじざい・・・囚われがない、こだわりがない、 師資相承・師のある資をそのまま伝え受け継いでいくその伝え方。
1まとめとしての感想 疑問 課題・意見を求める
(誓い・目標 新たな思い)
荘子に言う木鶏の如く、 気負わず飄々としていて、 何があっても動じない胆力がる。 「正師を得ざれば、学ばざれば如かず。」 人生においてすばらしい師匠を持つことが
いかに大事か。
BE 研究研修の行徳哲男氏、常に自分、 己、 その存在を追求すること事こそ、
しかん
リラックスとは。 力を抜くとは、 緩む。 弛む。 弛緩。 明るさ、明朗闊達?
曾子が十哲に入っていない。 40歳上も孔子より若い曾子、 別枠の存在にした。
孔子の教えの伝承者、 孔子の後の儒学を広める役割を果たした。
信なくんば立たず。
ないがし
今お社会は経済ばかり優先されて、 倫理感がs蔑ろ。 どんなに経済が強く なっても、国民と指導者の間に信頼関係が築かれなければ、政治では
まつりごと
ない。 政とは。
孔子は政治の要諦は、食を豊かにし、 兵を充実し、 民に信を持たせること。 子貢は、さらに踏み込み、 止む得ずの場合どれかを棄てるとしたら、
先ず兵を棄て、次は食を捨て、 「信なくんば立たず」 社会は成り立たない 子は、 博く恵みを施して民衆を救う。 (経世済民) 経済でもある。
尊徳は、道徳のなき経済は犯罪であり、 経済のなき道徳は寝言である
澁澤は、論語と算盤は、一致しなければ、道義に伴った利益を、公益を第一 とせよ。
稲盛の。自利利他、 動機善なりや。 私心なかりしか。
幸之助は、国民の幸福で平和で健全な生活は、政治による。 松下政経塾創設。 84 歳。 現在.45 期に。 PHP 設立。 S21.11. 自分の幸せは自分でしか作れない。
孔子が最も伝えたかったこと・・師資相承
ソクラテスの汝自身を知れ。
恕
己の欲せざる所人に施す事勿れ。 仁・德・ 孝
温故知新・・・ 子曰く、学びて時に之を習う。 亦説ばしからずや。
孔子は師として、 見事に弟子に相承した。 受け伝えた。
古典を学ぶ。古きものではなく、 一番新しい、今の人の、人間の知恵。 人として如何に人と生きるか。 その大本は己である。
其の生き方は、
あそ
仮名論語 p81. 子曰わく、 道に志し、 徳に拠り、 仁に依り、 藝に遊ぶ。
巧言令色鮮し仁。
論語、儒教儒学は、徳の道を説いている、 道徳。 徳行い、
善行い、実践倫理であり、 それは自然が本である。
之らすべて己の実践によりしか得られないものである。
P13. 「孔子とその弟子たちの物語」
しぶん
JFH/HD 名誉顧問, 數土文夫氏対談・斯文会理事長、 宇野住彦氏
論語は、孔子の思想を弟子たちが問答を通して、私たちの今に届けられた、 まさに師資相承の物語である。
論語は孔子の後、弟子達が論じ合い語り合ったという証の典名、命名者不明。
「いまの時代にも求められる心のバックボーン」
論語伝来前からの日本人の心は、論語儒学思想を受け容れ、 日本人の倫理観 と併せて融合してきた。 徳の道、道徳観も同じである。
「論語はなぜ今まで読み継がれたか」
論語は、仁を説き。孔子の思慮、
p15. 陽明学で言う事上磨錬、 実践を通して考えを深めていける。
仁にしても弟子によって、 問いも、説くにしても皆違いがある。
論語にこれしかないという教えはない。君子は、小人はと、 どちらがよいと 言わない。固有の定義がない。例えば、仮名論語憲問 p202. 「子曰わく、 德有る者は必ず言有り。言有る者は必ずしも徳有らず。 仁者は必ず勇有り。 勇者は必ずしもにあらず。」
答えは読み人が考え、自己の実践により、自己で解明する。 論語は時代に 合わせ、いろいろな解釈ができ、時代を超え得て読み継がれえ来たのだろう。 時代、時、事情によって、 解釈をして、 活用できる。
日本の江戸時代は、 孝、 忠に囚われ、 身分制度までに至った。
有名な章句がある。 仮名論語子路p194.子が 「士 (官吏) について問う。 敢えて其の次を問う、曰わく、言心ず信、行い必ず果、磁熟として小人 なるかな。」
仮名論語 P196 子路、 子曰わく、君子は和して同ぜず、 小人同じて和せず。 この二句は、 時の首相を悩ました章句である。
人生百年時代に求められる指針。 普遍性の魅力。 すべてに当てはまる可能性 を持ち通じること。 論語は極、 一般的。 (倫理、 道徳観)
p16.2段目 「修己治人」 己を修めて、 初めて他人を治めることができると。
修己・・学べ、そして直 (即) に習え、習えば、 説ばしからずや。 わかる。
挫折感を味わいながらも、 最高の希望を与えた人生。
孔子は民の豊かさは、 自分の理想とする政治を実現するために取り立ててく れる君子を求めて各地を放浪する。 結局、 願いは果たせることなく故郷魯に 帰る。 残りの人生を通じて弟子たちの教育に心血を注いでいく。 仮名論語 p13. 為政。 「吾十有五にして學に志し、三十にして立ち、四十に
したが
して惑わず、 五十にして天命を知り、 六十にして耳順い、 七十にして心の欲
のり
する所に従えども、 矩を超えず。」 孔子の人生だった。
孔子は、生まれながらにして、 苦労人、 悩みに悩み、 懸命に自分を高めよう と努力を重ねてきた。 自分は挫折感を味わいながらも。 弟子たちに最高の希
望を与えて人生を閉じた。
もと
困窮して弟子が、 君子でも困窮することがあるか問う、 「君子固より窮す。
みだ
小人窮すれば斯に濫る。」 君子は困窮しても自暴自棄にはならない。
楽天的なのである。・・・後に重要な言葉になる。
「今の世界に訴えたい論語」
孔子の言葉。 「君子は人の美を成す」 君子は人の美点を伸ばす。 美点凝視。 克己復礼 私利私欲に打ち克ち、 社会の秩序と調和を保つ礼に復ること。
「己の欲せざる所、 人に施すことなかれ。」 仁の言行。 仮名論語 p162.顔淵。 p237. 衛靈公。 「一言にして身を終うるまで之を行う者有りや。 子曰く、 それは恕か。己の欲せざる所、 人に施すことなかれ。」 二度出てくるほどの 孔子の、 仁、 (恕・徳・善・恵・敬。 謝・愛・慮り・・・・etc)
etc) 慮り
子の応対辞令に学ぶ
孔子の弟子三千人という、 有実名ある弟子と人、子貢、 顔淵、 子路の三人 は、中庸で言う達徳勇者、 達は智、 徳は仁、 子貢は、 弁舌に優れ、魯と衛の 宰相になったり、 商才もあり活躍者で億万長者になった。
古典は人の在り方を説く修己治人、 世を治め人民を救う道を説く経世済民、 現実の中で、人や物事にいかに対処していくべきかを説く応対辞令、 子貢は 備えていた。どこへ派遣されても、 「君命を辱めず」 最近の政治家では安倍元 首相にみられた。 議論の場は論理より相手を納得させることが重要。
自他を冷静に見極めていた子。
子は孔子より31 歳若い。 商才でもあり、 政治家でもあった。
ビジネスマンの失敗する要因は自分を過大評価すること。 子貢の孔子と問答 は、冷静である、 よく見ている。 子貢が孔子に自分の評価を尋ねる、 孔子は
なんじ
き
これん
「女は器なり」、 何の器ぞや。もう一回聞くと、 「瑚璉なり」 と。 祭器の中 でも上級の器なり。 公冶長p49.で、{君子は器ならず。} (器の中のみ でない) P16.為政。
子貢君子を問う。
「子曰わく、 先ず行う。 その言葉はる後之に従う。」 子貢という弟子のこと。
窮地に落ち入ったときに、いかに対処するか。
子路は孔子よりも若く、 任侠の徒のように正確の荒い人。
「君子は不善の者がいれば真心でそれを感化させ、凶暴な者がいれば、
仁愛の心でそれを止める。」 人間も教えを受け、研鑽を積まなければ一角の 人物にはなれないと諭した。 窮地に陥った時には、 じたばたすると自滅する、
みだ
自棄にならなければ助かる。 濫れないこと。
何故孔子の元に多くの弟子が集まったのか。
ふんど しょう
ぬ
宰我という弟子。 昼寝をするなど怠け者。 糞土の牆は栃べからず。 と罵倒さ れた弟子。破門したいほどの宰我が、後に十哲にいる。 孔子の度量の大き さと、弟子は切ってはならない。 P53.公冶長
内に求める心なくんば、たとえその人の面前にありとも、 ついに縁を生じるに至らずと知るべし。 師資相承。 求める 心ありや否や。 みずほ銀行創始者・澁澤栄一氏を師とする。
[巻頭の言葉より]
高千穂神社 後藤俊彦 克己復礼・・礼に復るを仁となす。己を克て、
克服 (己の私利私欲に打ち克って)
思いやりと礼節に富んだ日本人の美徳。 ハリス・日本を開国して、 外国影響を受け させるどころか、 疑わしくなる。 この礼節、 日本書紀に遣唐使も日本を君子国と言った。 東日本の大地震の時も、 日本人が秩序ある行動をとり、お互いにおもいやる気遣い示す ふるまいの美徳がある。
然し、近年そのような美徳が薄れつつある懸念を覚えることがある。
夏目漱石 「草枕」 に、 「智に働けば角が立つ。 情に掉させば流される。 意地を通せば 窮屈だ。 とかくこの世は住みにくい。」
克己復礼は、 住みにくい世であるならばこそ、 人と人、 国と国にもおもいやりと礼節は 欠かせない潤滑油のようなものではないか。 諍い、 戦争でも引くことの知らない正義の 争いは災いの種となる。
私たち人間の守るべき価値とは何か。 深慮し、 戦争や自然災害に世を生きなければなら ない時を迎えている。
孔子は2500年前、 其の二千年前の4500年前頃からの古代中国の有り様から 儒学 (儒学=儒教=論語=倫理=道徳=自然 (天地万物) 原理。を、
後の世に遺した孔子をはじめ、 諸子百家の先人の知恵を今にしても活かされることに
克己復礼は 仮名論語顔淵p161.
感謝したい。
*p10.
特集〜リード文の喚起をいただきながら、
師資相承・・・藤尾秀昭社長の丹精込めた致知特集にまつ
わる総リードをする頁である。
よく理解できないときはここに戻れとかいう、 戻ったら余 計難しくなった時もある、 不可思議な総リード頁である。 編集に対する熱い思い、 深き探る思いを常に与えてくれる。 感動は、 渡辺昇一翁、 「人は心底から尊敬した人物から知ら ず知らずのうちに、 多くのものを学ぶ。 学生でも偉い先生 を心から尊敬している者は、器量がどんどん大きくなる。 しかし、先生を批判したり表面的に奉るなどしていると、 成長が止まる。 媚び諂い、 巧言令色」
森信三翁は、人格を形成するには、 師匠運が最も大事で あり、どういう師匠に出逢うかで、先天的な素質、逆境に より試練に影響を及ぼす。
尊敬する人がいなくなった時、その人の進歩は止まる。
尊敬する対象が、年とともにはっきりするようでなければ、 真の大成は期しがたい。 しかし縁は求めざるには生ぜず。
宇都宮木鶏クラブ月例会・・・ 月刊 「致知」 読後感想発表用シート (要項)
第346回例会
2024.7.5 (金)発表者・ 五十嵐薰
ししそうしょう
令和6年7月号特集テーマ 「師資相承」
人と書の出会い・・・ 「致知」の読後感想会。そこには共感と感動がある。出会いは人と人 とのコミュニケーションから始まる。現在の通信機器によりの出会いは人と人の出会いでは ない。人間ではない。本当の出会いは顔を合わせたときから始まる。手紙、電話もまだ機会 まで。出会いの尊さが奪われている。人は出会うべくして出会うとき、偶然ではなく必然の 出会いにあり、共感、感動、そして、信頼が生まれるだろう。人間はアナログだから、デジタル からの人間ではない。コロナ禍収まっても、地球を席捲しているデジタル出会い。一番の不 安心配は、このコミュニケーションが枯渇してしまうことにならないだろうか。 三蜜にしてこ そ、人は豊かになり、幸福、平等も、平和ももたらされる。情、哀、愛、心、信は、アナログにし かないだろう。デジタル出会いは目的も目標も人ではない。 スマホ、SNS に仁は程遠い。 最近は LINE~zoom やオンラインで顔の見える、声を交わせる出会いはかなり進歩して きた。人間関係は、挨拶から、始まる。挨拶は近づく、近寄る。頷く礼か、顔合せるか、声で伝 える。目と目、顔と顔、表情と表情、笑みの交わし、言葉のぬくもりにある。その間(ま)にこそ 出会い、進化がある。情がある。人の話しを聞く、聴けるは素直謙虚の表し受容であり、感性 で感動である。意識し合うは友愛である。
禮挨拶基本のキ。 挨拶は心の通い。 人と人の心から結び合いになる。
親近感。 ◎止まる姿勢(正す) > 重心をつま先へ リラックス (肩
の力を抜く) 相手を見る≫ 腰から頭を下げる。 (素早く・30度) の力を抜く)≫相手を見る> 腰から頭を下げる。(素早く・30度) (2~3m先を見る) 頭を止めて (2秒)>ゆっくり頭を上げる
(2秒) (2.3~~4) 視線は相手の顔(目) (微笑) > 明るい 視線は相手の顔(目)(微笑)>>明るい
表情/余韻顔を見る。 ◎発声 (喉からではなく、腹心 (臍下) から)(意識を相手の顔のその先へもっていく。) (籠らず、通る発声 になる) >>>ハイの掛け声も、同様である。
◎姿勢気をつけつま先60度。 女性30度 踵を付ける顎を 引き、前を見る。 ◎礼 男性は、両脇へ指を揃え、腿に掌を付ける。 女性は、礼と共に両手を前に右手上で組む、戻す。
倫理法人会のMSで活力朝礼のあいさつ実習から抜粋 (姿勢は人間力の第一歩 )
敬いの礼は、信の本、 和する敬いの礼である。 恭しい (礼儀に適い、 丁重である。)相手を受け容れる視線になる。童子教の教えにある。 道徳実践のあいさつは、相手に近づき、 親近感を保ち、 感謝の気持 ち『ありがとう』を述べる。 ありがとうと言い返す。 目と目も挨拶する。
*人生日常が苦難に合わないで送れることは望ましいが、
人間そのものは、 より向上、 成長しようとするところに、
目的、 目標を持つところに、 欲望があり、 立ち向かうと、
必ず、 乗り越えなければならいない障壁に遭遇する。
苦難である。 この苦難は、物事を可能にする、 打破する、
思いを達するところに、 その苦難が導いてくれた教えがある。
私情雑念をさっぱりと捨てて、 運を天に任せる明朗闊達な心境に
達した時、 見事に窮地を脱する、 古人の体験であり、
「窮すれば通ず」 捨我得全。 心即太陽。 信成万事、 尊己及人
そして、 反始慎終、 万物生々、 破約失福、 勤労歓喜、 疾病信号、
それには、 運命自招、 万象我師、 明朗愛和、 人生神劇とある。
乗り越える術である。 何よりも得難い教師である。
令和6年7月5日
宇都宮木鶏クラブ第346回致知読後感想発表会 メーン発表 五十嵐薫
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