宇都宮木鶏クラブ
二宮金次郎(尊徳翁)
(報徳・・特に報いる。恩を返す。)儒教・道教・天道
報徳仕法・・・済う。救う。 経済・ 経国済民/経世済民
(四書五経の実践者) 実践は己に克つ 修己治人・克己複礼・自己修養
二宮金次郎・・薪を背負い、 「大学」 を読む姿の銅像は戦前まで全国の尋常小学校 正門にて、子どもたちを迎えた。 手本は勤勉。 戦後 GHQ 教育政策により撤去させられた。 戦前の紙幣は、一円、 二宮尊徳は2度紙幣肖像された。 何を象徴したか。 小田原、 桜村 (二宮・真岡) 今市 (日光) 船生、 宇都宮宝木、 相馬にて、農業耕作地の基盤整備 徹底した実践主義、 神、 儒、 仏の思想を実践報徳教、自ら、陰徳、 積善、節倹を力行し、 殖産 (生産を増やす。 産業を盛んにする、財産を増やす。 備蓄蓄財 )することを説いた。 605 町村の復興。
尊徳格言 音もなく香もなく常に天地は、書かざる経を繰りかへし
つつ此の如く日々繰り返し繰り返ししめささる。
天地の経文に誠の道は明らかなり。 「積小為大」の根源
尊徳翁 (今市・報徳二宮神社) 積小偉大。 同義語・・ 点滴石を穿つ。 雨だれ石を穿つ。 塵も積もれば山となる。 今度推譲・たらいの水・心田を耕す。一円融合 (善悪・貧富・ 労使・対立の融合)・
・報徳仕法。 実践者の金次郎は、老子、孔子、孟子に対して一言を持っている。 な経済は犯罪であり、経済なき道は寝言である。
政事は豆腐の箱の如し、 が歪めば豆腐も歪む。 凡人は小惑なり。 聖人は大歌なり。
上杉鷹山 >
(あせば成る、当さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり) 武田信玄 上杉鷹山 (やって見せ、言って、聞かせて、 共にやり、させてみて、褒めてやらねば、
人は育ちぬ。) 上杉 山 ・山本五十六 してみせて、言って聞かせて、させてみて、読めやらねば人はかじ 中江藤樹 学 孝の忠誠実践者 澁澤榮一 松下幸之助 稲盛和夫。 四書五経営学/老荘の道教、
二宮金次郎の論語 (報徳仕法 分度推譲たらいの水 積小為大心田を耕す。 一円融合)
論語大学 中庸・孝経
子供有り 門弟子を召して曰く、 予が足を書け、予が手を巻け
時に云う、競として、深淵を含むが如く、氷をむしと、
今よりして後、 吾免るるを知るかな、 小子.
定公開う、 君臣を使い、臣、 君にうること、 これ如何にせん。
孔子えて曰わく、 君、臣を事うに櫓を以てし
八第三 p
臣君に事うることを以てす。
子貢曰く、 もし博く民に施して、能く衆を済う有らば如何。
仁とうべきや。 子曰わく、 何ぞ仁を事とせん。必ずやか。
も其れ諸をめり。
夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。
く近く替えを取る。 仁の道とうべきのみ。 子路政を問う。 子曰わく、 是を先んじ、之を勞う。益を請う。
日わく、倦むこと無かれ。
子路第十三 p180
子路、君に事えんことを問う。 子曰わく、欺くこと勿かれ。 而して之を犯せ。 第十四 p214
あるひと曰く、徳を以て怨みに報えば如何。 子曰わく、 何を以てか徳に報いん。 直きを以て怨みに報い、 徳を以て徳に報いん。
第十四 p219.
. 学 16/16政18/18 八份 11/24 仁 25/25 公冶長 9/31也 9/22
二宮尊徳夜話に出てくる論語
述面 26/37 泰伯 10/22 子罕 19/31 郷党 4/22 先進 6/23/顔/子路/憲/公/李 氏 12/22 貨 2/12 子 15/22 子 2/4日
大学. 礼記 明明徳、 明徳を明らかにする。 親民。 民を親しませる。
至。 至善に止まる。 大学 八条目。 天下を平らかにする。 国を治める。 家をえる。 身を極める (身を慎み深くする) 心を正す (心を落ち着ける)。 意を誠にする (自らを修める)。 知を致す (自己の知識を十分に究める)。 物に格る。 (世界の事物に内在する理を究めつくす) 総じて、 徳 (得) を身に付ける。
中庸礼記・・ 孟子性善説。。
.. 寺子屋の教科書、 平安末期頃、 弘法大師作 童子教。。。。 鎌倉末期から明治初め、儒教、仏教思想、 寺子屋教科書、 孝経
金次郎は、論語の総て、 史書の大学、 中庸、 孝経、 礼記、 孟子から学びは、 即、 実践躬行でなければならんと、確かに自ら実践 (実験、試す) をして、 そのとおりの成果を上げた。 上げようとした。 詩経、 書経、 左伝、 道教老子、 荘子、孫子、 荀子、 韓非子、 史記、 十八史略、······· ・孔子の謂う実践射行者とは唯一二宮金次郎しかおられないほどに、 儒学を基に、 科学 (サイエンス (実証) とソリューション (解決)) していた。
むげんだい
・論語の総てを実践実証していたとすると、 二宮金次郎論語は、 8 天の定め、天の導き、天理、天地自然の摂理のままに従うことに行き着く。
音もなく香もなく常に天地は、 書かざるを繰りかへしつつ
此の如く日々繰り返し繰り返ししめささる
天地の経文にの道は明らかなリ
尊徳翁歌 (今市、 報徳神社に石碑がある)