この山という字を見た時に、以前、「論語に学ぶ実践の会」で教えてもらった「知者は水を楽しむ(変化を求めるという事らしいんですけど)」でも「仁者は山を楽しむ(永遠の中に安住する)」という話しで、それ思い出して、そういう話なのかなと思いながら表紙を開いたんですが。。。まず巻頭の言葉を読みました。
巻頭の言葉
「冥冥の志なき者は、昭昭の明なく 惛惛の事無き者は、赫赫の功なし」
【數土 文夫】
人の働き方が加速度的に変革していく中で、寿命は人生百年時代に入っている。しかし、いかに変革したとしても、一人ひとりが独立自尊の心で、忍耐力をもって継続的に学ぶことが重要だということが書いてありました。
「志をもって目に見えぬ努力を積み重ねない者には、素晴らしいことが訪れるはずはない。また、目につかぬところで手を抜く者には、輝かしい成果が上がるはずはない。」という荀子が説いた言葉は本当にそうだなと思いました。
私の関わっている会やイベントも、このコロナ化でイベントが出来るか不透明な中、無駄になってしまうかもしれない準備や打ち合わせがどうしても増えてしまっています。中止や延期になれば、その努力は評価にはならないわけですが、そこに真剣に向き合える人は信頼出来るし、尊敬出来る人だと思います。
その意味で努力事態は目に見えなくても、人の成長として、姿に現れるのかなと思いました。
P7 特集「山上 山また山」
命ある限り自己の向上に生きるという意味で「三上 山また山」を目指して歩んでいる人は例外なく、自らを律する信条、気概を備えている、という事がかかれていました。千玄室氏の先代の言葉で「死んでからも修行だぞ」というのが印象に残りました。きっと昔の日本人は死を認識し覚悟していたのかもしれません。だから、今を、精一杯、生きようとした。死という確信は、この一瞬一瞬に自分の全てを燃焼し、自分の誠を尽くして生きていこうとする信念のようなものだったのかもしれないと思いました。
この前「論語に学ぶ実践の会」で渋沢栄一格言をもらったんですが、「九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ。」最後まで世の中に尽くす気魄ってすごいなと思って、もしこういった先達の方々が生きていて今の日本を見たらどう思うんだろうなぁ・・・
P10 数え百歳、生涯現役を生きる
【千玄室 インタビュー】
千玄室さん事態致知にはよく出てくる方なので当然しってるわけですけど、、、ただ、現役で乗馬をやってる・・・考えられないですよね。すごなと思います。
「命を生かして使うことが人間の役割」というところで使命という話が出てきますが、使命とは天命の話をされていると感じました。得手不得手に関わらず、その役割をやり通す気持ち、世のために誠を尽くすという覚悟をもっていきなければいけない。そのために人間学を学ばなければならないという事が書いてありました。印象に残ったのがアメリカの民主主義が入ってきて「の」(やわらぎの和)が「と」(並列の関係)になってしまったという話しで、よく言えば対等の関係なんだと思うんですが責任が希薄になってしまったような気がします。
今ちょうど子供のことで先生と話す機会があるのですが、「先生の生徒」なのか「先生と生徒」なのかってすごくあって、これが希薄だと信頼関係を作っていくのは難しいだろうなと最近すごく思います。
「破草履」という言葉で、「自分の草履が破れて裸足になっていることすら気づかないくらい前進しなさい」という話が書かれていて、草履も破れてからの方が前進するのがキツくなると思います。山頂まで登って目標を達成すると次の山がある。自分だけでなく相手の事を考えないと進めなくなる。だからこそ自分と向き合う難しさを教えてくれているんだなと感じました。
自分のことなら苦難が成長の糧になると思えば良いので、、、
良いんですけど、、、
自分以外という事ってなると「その人を信じるきる」事が必要になるので、、、
難しいなぁと思いました。
P18 人材の育成こそ 企業発展の要なり
【対談: 名和高司 永守重信】
今の教育に疑問をもち人材育成の必要性を訴えるだけでなく、自ら学校を立ち上げることで、本当の人材育成を実践されているというお話でした。これから求められる人材とは自ら進んで、生産性の高い、専門性を兼ね備えた人材だと書かれていました。
この中には、受験に失敗してうちに来た人もたくさんいるだろう。しかしそれが何だ。いまは人生百年時代。君たちにはあと八十年以上残っているじゃないか
致知 P21の2段目
「受験に失敗しても、あと80年以上残っている」というのは確かにそうだなと、諦めた時が年齢に関係なく終わりで、スタートはいつでも良いという事なのかなと思いました。極端に言えば70歳からでも80歳からでも学ぼうと思えばスタート出来る。最後まで走り続けることが出来る。そう思うとすごい勇気をもらえた気がします。
九頭竜大社の教祖のお告げを聞きに行った。「あなたの運命は次の節分の時に変わる」
致知
普段、お告げとか占いとか一切信じないんですけど「いろいろあって」自分だったら「苦難福門ですけど、相手がいる場合は信じるしかない。そんな時、ある人に「8月に好転する」みたいな事を言われて、不思議ですね、、、
いつもなら気もしないのに、それで凄く楽になって、「8月まで頑張ろう」って思えるんですよね。。。
なので「信じる」って諦めない事だなと思いました。
P28 守拙求真(しゅせつきゅうしん)の求道者 平櫛田中に学ぶ
【平櫛弘子】
平櫛田中が彫刻家として生きる決意をし、彫刻家としてやっていく確信を得ていく中で、子供を失い、それでも歴史に残る名作を生み出してきたという話でした。
「守拙求真」の言葉通り初心をわすれず自分の真理を見据えて歩み続けた生涯が書かれていました。
どんな仕事でも初心を忘れず真摯に向きあうことが大切だなと感じました。
晩年によく口にしていたのが「守拙求心」という言葉でした。拙さを守る。すなわち、技巧に走って初心を忘れることなく、己の希求する真理を見据えて歩み続けたのが祖母だったのです。
致知 P31の4段目
百七歳まで初心を忘れないって、、、すごいですよね。
これは「本を忘れず」という事にもつながると思って、、、
礼の実践、、、
「挨拶、そして墓参の実践」
も本を忘れず積み重ねいく事だなと思いました。
P32 俳誌「ホトトギス」百二十五年の歴史を貫いてきたもの
【稲畑廣太郎】
正岡子規らの旗揚げから最古の俳句雑誌として発行を続けてきた「ホトトギス」ですが、曽祖父の虚子が引き継ぐ中で存続の危機があったという事でした。しかしこの雑誌が「名もなき俳人の皆さんに支えられている」という事に気づくと師の子規が提唱した「有季定型」「客観写生」の理念に立ち返り「俳句は自然を詠うことを通して生活や人生を詠うもの、転じて人間も自然の一部であるという「花鳥諷詠」の思想に結実。これが「ホトトギス」最大の理念となったと書いてありました。
印象に残ったは
遠山に 日の当たりたる 枯野かな (とおやまに ひのあたりたる かれのかな)
これは虚子の遺した句の中でもとりわけよく知られた名句です。主観的な言葉が省かれ、どこで詠まれたのか特定できません。だからこそ読む人それぞれが心の中の「遠山」を思い浮かべ、感動することができる。虚子が俳句を「省略の文学」と読んだ所以です。
致知:P34の2段目
これは、音楽とかでもそうだと思って、共感してもらうためにあえて主観的な表現をいれなかったり、言葉を言い換えて使うとか、共感を得るために余白を残すということなのかなと感じました。
時代と共に変わっていくものと、変わらない「普遍的なもの」があるという事なのかなと思いました。
P36 祖国チベットに思いを馳せて
【西蔵ツワン】
日本国籍を取得し医師になってからも、祖国チベットの支援活動に取り組まれている、西蔵ツワンさんについて書かれていました。現在、映画を通してチベット問題を紹介したり教育や医療に関する支援を行っているとのことでした。ネパールで生まれたツワンさんは、中国人民解放侵攻でインドに亡命しその後、日本に留学することになったそうです。将来、ダライ・ラマ法王様と一緒にチベットに帰り医療技術の向上に貢献したいと書かれていました。
ある高僧がチベット本土で拘束され訊問を受け虐待を受けた。その時、この高僧はこう考えていたというんです。「自分を虐待するこの人の心にはいったいどのような苦しみや葛藤があるのだろうか。可哀想に。どうか早く目が覚めますように」と。自分を苦しめる人たちの幸せを祈る姿がそのにはあるんです。
致知:P40の4段目
P42 山が険しいほど見える景色は素晴らしい
【三澤茂計】
三澤茂計さんが20年以上かけてつくってきたワイン「甲州」が世界最大級のワインコンクールで初めて金賞を受賞するまでの苦難がかかれていました。農家だけに頼らず自ら垣根栽培を実践していくことで、最終的には質の高い世界で認められる「甲州ワイン」が生まれたのだと思います。
ここに至るには父親の一雄から茂計さんへ、そして娘の彩奈さんへと繋いできた変わらない情熱があるように思いました。
P46 刀剣研師の道に終わりなし
【臼木良彦】
刀への憧れと母親の導きで刀剣研師となり、「無鑑査」にまでなった臼木さんの刀への向き合い方について書かれていました。
昔、剣道の先生に日本刀の反りには、攻撃を受け流すという目的があるって聞いて、、、
今考えると受け入れるって事かもなと、、、
日本人が大切にしている和の精神があったのかもしれないなぁと思って、、、
一本一本の刀を全部初めて見る気持ちで、研ぎに取り組んできました。
一つの山を登っていく。山を越えていくのは苦しくて辛いけれど、登るのをやめてしまえばそこで終わり。
致知:P50の4段目
「一本一本初めて見る気持ちで」というのはなかなか出来ないなと思いました。
私の仕事もどうしても効率的にやろうと思ってファンクションとかフォーマット化してしまので初心に戻って向き合わないといけないなと感じました。
あと「また、くだって」書いてあるのに気づいて、次の山に登る前に下だらないといけないんだと思ったら、大変だなと、、、
普通は安定とか考えてしまうと思うんですよ。覚悟がある人しか進めないと思いました。
次の山は簡単ではなくて、今いる山頂から下る覚悟と、そして次の山に向かう気魄がなければ下ることすら難しい事なんだなと感じました。
P52 森信三が目指した世界
【鼎談: 兼氏敏幸、森 迪彦、浅井周英】
価値観が多様化し、人間が生きていく上での背景、バックボーンが失われている今、没後三十年の節目に実践を通して森信三の思想なり教えを伝えていく事が必要ではないか、という事について書かれていました。
理屈ではなく自分でやってみて初めて良さがわかるという話で倫理でも、実践の学びという意味で同じことを学んでいたと気づきました。
再建の三大原理( ・時を守り ・場を浄め ・礼を正す)
しつけの三大原理
一)朝のあいさつをする子に
二)「ハイ」とはっきり返事のできる子に
三)席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。
浅井さんは森信三との出会いの話しで「理想の小学校教師像」に救われたそうです。
「もう自分は教師はようやっていかんな」と思っていた時「しつけの三大原理」など
本の教えを実践することで児童が落ち着いて、授業も起動に乗っていった。
兼氏さんは「計画は立てなさんな」という言葉が印象に残ったそうで「全ては天意なのだから自分の務めを果たすことだ」と受け止めた。と書かれていました。
父のもとにはいろんなお客様がいらっしゃいましたが、「よく来られました」「そうですか、そうですか」と、最初はニコニコ笑って相手の方の話をよく聞くんですよ。
ただしばらくすると、「ところで今あなたは何を実践しているのですか」とぱっと話題を転換する。そうしたら、相手の方は言葉に詰まって何も言えなくなってしまう。
致知:P55の4段目
「今、あなたは何を実践しているのですか」という言葉は、日常で実践をしている人にはとても重い言葉だと感じました。最近礼の実践が出来てないなと改めて反省しました。
P56:1段目で「山また山」遮断の繰り返しと言っている。
「山を下る」という言葉もリスクを伴う言葉だと思ったんですが「遮断する」っていうのは更に強い言葉だなと思って一からまた登っていくというより、もう絶壁なんですかね、登れないっていう話なのかなと・・・
森先生は両親との別れ、中学進学の断念や給仕体験という逆境の中「マイナスを、全力を挙げて取り組むことによって、ついにそれをひっくり返して、逆に輝かしいものにする」という言葉通り「立腰教育」「終身教授禄」というプラスに転じるという事を実践された方で「学問というのは書物の中にある」のではなく「真理は現実のただ中にある」のだと気づかれた人だとかかれていました。また「人生に起こってくる逆境、苦悩はすべて絶対肯定している」という話もされていて、人生の苦難を受け入れ実践されてきた人の言葉だなと感じました。
晩年も苦労されたらしく出版事業での借金、奥様がなくなられ、長男が急逝と立て続けに起こる苦難の中、執筆活動も止まってしまったそうです。(周りの人々が亡くなったのに自分だけが生きているという罪悪感を感じていたのかもしれません)しかし、そんな逆境の最中に「幻の講話」「実践人の家」が建設されるなど最後まで活動しつづけた先生の人徳についてもかかれていました。自分が大変な時に、相手の事を思いやる、そういう人物だからこそ多くの人から慕われていたのだと思います。
「真理は現実のただ中にあり」「真理は感動を持ってのみ受け継がれる」
致知:P61の2段目
「真理は現実のただ中にあり」「真理は感動を持ってのみ受け継がれる」という事がかかれているんですが、これは、倫理でもそうですが、墓参の実践も実践を続けることで「恩の遡源」が自分の先祖と向き合うことだと気づくタイミングがあったり、絶対に頭だけでは行きつけない事があると思いました。
森先生の人生は、最晩年にいたるまでこれでもか、これでもかというくらい行く手を遮断される、「山上 山また山」の連続でした。それでもめげず、遮断されてはこっちに曲がり、遮断されてはあっちに曲がりを繰り返していく中で先生の人格は鍛えられ、最後は綺麗な円を描いて、人生を卒業していかれたのではないかと思います。
致知:P61の2段目
先程も言いましたが遮断って一からまた登れば良いという事ではなく遮断って絶壁なんですよね。「もう登れない」今を受け入れて信じて待つことも必要なんだなと、、、だからこの遮断されて「こっちに曲がり」「あっちに曲がり」最後は綺麗な円になるという話は、どうにもならない事をその都度、受けれていいく覚悟が必要なんだなと感じました。
P62 世界の頂点への道のり
【対談: 井村雅代、宇津木麗華】
コロナ化で世界の頂上を目指し、勝利をつかんだ指導者としての思いが書かれていました。
麗華さんが選手の意見を聞き入れられるのは、しっかり自分の指導に自身をもっているからです。
致知:P67の4段目
「相手の意見を受け入れるには自分の指導に誇りと自信がなければ出来ない」という話がとても印象に残りました。自分の生き方、あり方と真摯に向き合っていないと、選手や教え子からは信頼してもらえないし、逆に選手自身も誇りを失ってしまうと思います。これはスポーツだけでなく教育も含め全てにおいて同じだと思いました。
P85 致知随想
誰もが苦しみを乗り越える力を持っている 【大愚元勝 】
自傷行為を繰り返していた子が二児の母として立派に成長されたという話が書いてありました。
言葉はきっかけでしかなくて、自分自身の心に自己重要感が溜まった時に自然に動きだすものなのかなと思いました。それを信じて待つ覚悟が自分にあるかどうかの話だなと思いました。
P96 忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉
「これだけ推しても駄目ですか」
【五木寛之】
文学というルールや答えがないところで結論を出すには最終的には忠恕なんだなと思いました。
どうにもならない状況を受け入れることで円になるとう話なのかなと思いました。
スポーツとかなら結論は目に見えて分かりやすいと思うんです。でも世の中には、納得してないけど、どうにもならない事もあって、それが森信三さんの所でも出てきた遮断ってことなんだろうとなと、山なら一から登っていけば良いけどそれが絶壁だと一旦受け入れしかない。それを繰り返していくなかで円になる。という話をこれだけ短い文章でこのテーマを表現されているのは、、、すごいなと思いました。
P108 知命 ・ 知礼 ・ 知言「論語」
【田口佳史】
論語の巻頭、学而第一「学びて時に之を習う亦説ばしからずや」と終わりの章句「命を知らざれば、以て君子たること無きなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり」が一対になっていると書かれていました。論語は学ぶだけでなく実践を繰り返すことで深く理解出来るものだと思います。苦難に会う度に何度でも学び直し実践していく、知識だけでなく経験を積み重なることで考える力を養い、それが生きる力となって人生を豊かにしてくれると思いました。
P110 第37回 仕事と人生に生かす ドラッカーの教え
組織は人間からなるものであるがゆえに、完全を期すことは不可能である。したがって、完全ならざるものを機能させることが必要になる。
【佐藤 等】
組織とは人間の集まりであり個の価値観によってつながっていると感じました。
・金銭的な報酬を得ていないからこそ仕事そのものから多くを得なければならない
・組織をもって自己実現と成長の機会とする
・金銭以外の重要な報酬「価値」を意識する
・組織ではなく顧客に仕える。組織はそのための道具
致知
この価値観という視点から考えた時に最近思うのは、新しい世の中の仕組みとしてオンラインサロンやNFTなど仮想通貨(暗号資産)に関わる人々の集団DAO(自律分散型組織)などを活用する人が増えているように思います。ここでは、コミュニティーが組織であり、個人の価値観の中でプロジェクトが実行されています。ここで書かれている組織そのものが不完全という前提ならコミュニティーは組織になり得る。今までにない概念だとしても成立するんだろうなと感じました。
ただ一方で時代が変わり、新しい概念や枠組みが出来たとしても、最終的に「自分という人間を向上させその自分をもって人のために尽くす」という本質はかわらないと思います。
カテゴリ:致知
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