拉致被害者の長男、飯塚さんの記事を読んでまず、思ったのは私と同じ年なんだ…ということでした。
今までメディアで見ていた程度の知識しかなく、自分が生まれる前の時代にあった話だと感じていたので、驚きでした。とは言っても当時1歳ということなので全く記憶にはなく21歳の時にパスポートでその事に気づいたという事なので実母に対する記憶は曖昧で受け入れるのは難しかったそうです。
金 賢姫(キム・ヒョンヒ)氏と面会した後も母親像ははっきりとは湧いて来なかったと書かれています。
それでも訴え続けて行く
一度もあったことのない母親との繋がりを信じていなければできないなと思いました。
「一刻も早く会いたい」という気持ちが伝わってきました。
私は墓参の実践を月に一度しているのですが、初めは形式的に行っていました。
お墓に行って掃除をするだけなので毎月行かなくても良いのではないかとも考えた時もありました。
しかし、最近では、そこで心を「繋がりのある人」に向けるという事に本当の意味があるのではないかと思うようになってきました。
私は未熟なのでお墓に行く事でしか、心から手を合わせることができません。
そこにお墓があるというのが心を向けるために必要なのです。
きっと飯塚さんは実母に会うことで心から向き合いたいだけなんだと思います。
飯塚さんには最後まで訴え続けて行くという覚悟を感じました。
カテゴリ:致知
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